
昨今の東京の銭湯は、交通の便が良いところが人気となり話題になる傾向がある。当然のことながら、周辺地域の住民のみならず、 電車を乗り継いで銭湯を訪れる利用者が増えていることが影響していることは疑いようもない。
松の湯は幹線道路に面しているわけでもなく、近くに電車の駅があるわけでもない。それでも半世紀以上この場所で営業を続け、今も訪れる人が後を絶たない。その理由を知りたくて、松の湯で生まれ育ち、現在は若旦那として経営を支えている武田卓朋(たかとも)さんにお話をうかがった。
卓朋さんの家族が松の湯を営み始めたのは、昭和47 (1972) 年頃。今から50年以上前にさかのぼる。ご両親が先代のオーナーから松の湯を譲り受けたことが始まりである。卓朋さんの父は、 かつて幡ヶ谷にあった竹の湯で生まれ育ち、 母も同じく銭湯の娘として生まれた。二人とも銭湯を営む家系だからこそ、 松の湯を譲り受けるというご縁に恵まれたのだろう。
今も残る「しんまち」商店街の看板が物語るように、松の湯の周辺はかつて地元住民でにぎわう商店街が広がっていた。その商店街の一角で、松の湯は存在感を発揮していたのだろう。当時の話を聞いていると、かつての商店街のにぎわいを見てみたかったという思いがこみ上げてくる。
松の湯は卓朋さんが子供の頃に中普請を行っている。浴室のタイル画はその時に作られた。都内でも珍しいモノクロのタイル画で、男湯にはイタリアのルネッサンス絵画の『ビーナスの誕生』を連想する裸婦が、女湯には聖母マリアが天使たちに囲まれているような姿が描かれている。どちらもエネルギーの源のようなイメージを表現しており、東京の銭湯でよく見かける富士山のペンキ絵とはまた違った、独特の趣が楽しめる。
東京農工大学と東京経済大学の間に位置する松の湯には、夜になると学生の利用者が増え、サウナ好きの若者たちも集まってくるという。そんな話を聞いていると、風呂上がりに自転車で風を切り、路地裏を駆け抜ける爽快感が明日への活力になっていた昔の自分を思い出す。
辺りが暗くなり始めた頃、 夜景の撮影の準備をしていた私に、風呂上がりに店先でくつろぐご年配の男性が話しかけてきた。
「何の撮影ですか?」
撮影の経緯を説明すると、松の湯への思いがあふれ出すように語り始めた。かつては消防士として働き、30年以上も松の湯に通い続けてきたという。現在は一人暮らしだそうだ。
10分にも満たない会話だったが、それでもその人の人生の一部に触れた気がした。最後にその方は「話を聞いてくれてありがとう」と言い残し、自転車に乗り去っていった。
卓朋さんの話では、初対面のお客さん同士でも話が弾むことがあるという。人と直接向き合って話す機会が減っている現代において、銭湯での会話は新鮮であり、ありのままの自分を受け入れてもらえたような、肯定感をもたらしてくれるひとときでもある。
安心と安全が「商品」として扱われる時代に、銭湯で交わす会話は、無償の安らぎを与えてくれる。ほんの一言でも向き合って交わす言葉には、心に届く温もりがあるのだ。
地元の人々に親しまれる銭湯には、そこで育まれた人々のつながりがある。松の湯には、それが大きな一体感となってあらわれている。たまたま訪れた私のような人間でも受け入れてくれる懐の深さ――。それこそが、松の湯に人が集まる理由なのかもしれない。
(写真家 今田耕太郎)
【DATA】
松の湯(府中市|国分寺駅)
●銭湯お遍路番号:府中市 1番
●住所:府中市新町3-6-5 (銭湯マップはこちら)
●TEL:042-365-0204
●営業時間:16時~23時
●定休日:月曜(祝日の場合は翌日休み)
●交通:中央線「国分寺」駅下車、徒歩18分
ご家族とともに、松の湯を営む武田卓朋さん
今田耕太郎
1976年 北海道札幌市生まれ。建築写真カメラマン/写真家。
2014年4月よりフリーペーパー「1010」の表紙写真を担当。2015年4月からはHP「東京銭湯」のトップページ写真を手がける。
http://www.imadaphotoservice.com/
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