かつては花街として栄えた新宿区神楽坂。今では、休日は街歩きを楽しむ人々で溢れているが、表通りから一歩路地に入ると趣ある石畳の細道や料亭が立ち並んでいる。そんな情緒と魅力がつまった神楽坂で67年に渡り街に寄り添い続けた銭湯が、今回の取材先「熱海湯」である。

新宿区にある神楽坂。写真は坂下からの景色

表通りから横道に入ると熱海湯に繋がる石畳の小道。細い階段は「熱海湯階段」と呼ばれている

千鳥破風と呼ばれる建築様式。昭和29年からそのままのレトロな銭湯

実は筆者が熱海湯の店主と再会するのは約13年ぶりである。

何を隠そう筆者は熱海湯にほど近い高校に通い、夏休みは学校に泊まりこみで朝から晩まで部活漬けの日々を送っていた。もちろん、学校にお風呂はないので、その度に熱海湯にお世話になっていたのである。湯船で部活の仲間と部活について、ああでもないこうでもないと語り合ったのは、今でもいい思い出だ。

それから約13年ぶりの来訪。久しぶりの訪問を快く出迎えてくれたのが、当時と変わらない2代目店主、御年76歳の吉田浩さん。今回のインタビューを通じて、神楽坂という特有の地で銭湯を経営し続ける吉田さんの強い思いを知ることができた。

――まずは熱海湯の屋号の由来を教えてください。
ハワイが憧れの地のように、昔は熱海、草津、別府なども人々の憧れの地でした。銭湯でおめでたい名前はよくあると思うけど、当時の憧れの温泉地名が屋号になっています。

――熱海湯の歴史や客層の変化について教えてください。
戦争から帰ってきた父が番頭に入ったのが昭和23(1948)年。この一帯は焼け野原だったこともあり、当時は最低限の設備で、一時的に建設された風呂屋でした。その約6年後、昭和29年に資材が揃い、建て替えた風呂屋が今の熱海湯ですね。そこから愚直で真面目な姿勢が建物のオーナーに認められ、昭和48(1973)年に銭湯を買い取りました。私はその後を継いで、平成2年から本格的に店主として働き始めました。景気が良くなり始めた昭和30年代、花街として発展した神楽坂は料亭も多く、芸者さんだけで日に200人は来ていました。時代の変化に伴って料亭も減り、今では銭湯に訪れる芸者さんも見なくなりましたね。

花街だった文化はいまだに根付いている

今は地元のお客はわずかです。仕事前に法被へ袖を通すのは銭湯に入ってからという習慣を持った近くの飲食店の方、仕事の後に1日の汗を流しに来る人、会食前の空いた時間にさっぱりしに来る人、荷物を預けランニング後に汗を流すランナーなどで、客層や目的は時代とともに変化しているのを日々感じております。

――変わりゆく神楽坂で今もなお熱海湯を守れている理由は?
客層や銭湯への目的が変化しても、「いい湯だったよ」「ありがとう」というお客の一言が最高の幸せなんです。

正直、辛いこともある。やめたいこともある。ただ、帰りがけに一言お礼を言われると本当に嬉しいし、それが銭湯を営業し続ける活力になっているんです。こういった声をいただける限り、人様のためになれることに感謝して、できるかぎり銭湯の仕事を全うしようと思ってます。

――熱海湯の特徴を教えてください。
銭湯はコミュニケーションの場というけど、その人間模様がここで構築できているのが面白いです。特に常連さんの中では、自然と皆で高齢の方をサポートしたり、コミュニティが出来上がっていたりするんです。

その象徴的だったシーンを筆者も見ることができた。営業を開始してすぐに男湯は十数名のお客で埋め尽くされ、その中に90歳を超える高齢の方がいた。世間話が終わった後、店主は缶のポカリスエットからその方が持参したペットボトルに中身を移し替えていた。缶よりペットボトルのほうが、道すがら飲みやすいそうだ。お風呂の中では常連さん2名が、その方へ「おーい、転ぶんじゃねーぞ!」と声がけを行っている。自然とコミュニティが形成され、地域で高齢者をサポートする仕組みが出来上がっていた。これからの高齢化社会に銭湯は必要不可欠な場だと、改めて認識できた瞬間でもあった。

――熱海湯さんはあつ湯が有名ですよね?
あつ湯とぬる湯、2つの浴槽があり、あつ湯は42~43度くらい。営業中は浸かっているお客さんの表情を見て、温度調節を繰り返しています。備長炭を湯船に入れてあるのは、それによってお湯が柔らかくなり、透き通ってきれいになるからです。

熱海湯名物の42~43度のあつ湯

男湯・女湯にまたがる中島絵師が手掛けた堂々とした富士山

――エピローグ
神楽坂という特徴のある土地で、街に寄り添い続けた銭湯、熱海湯。店主の「来た人には最高に喜んでもらいたい」というサービス精神で、ここまで突っ走ってきたという。そして「ありがとう」の一言が、明日の活力に大きく繋がっている。

戦争からの復興、日本の高度成長期における発展、神楽坂という街の変化から現在に至るまで、東京のど真ん中で、常に人や地域を支えてきた。本当に「ありがとう」。そしてさらに時代が変わり続けても、神楽坂に寄り添った、変わらない銭湯であり続けて欲しい。

(写真・文:銭湯ライター 工藤 亮


【DATA】
熱海湯(新宿区|飯田橋駅)
●銭湯お遍路番号:新宿区 33番
●住所:新宿区神楽坂3-6
●TEL:03-3260-1053
●営業時間:15~25時 
●定休日:土曜
●交通:中央線「飯田橋」駅下車、徒歩3分
●ホームページ:http://1010yuge-g.jp/
銭湯マップはこちら

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中央のカランは浴室を広く見せるため、あえて低く設計

近所にあったゲーム会社から提供されたという「モモテツ」桶

昭和29年から変わらない番台

清潔感のある脱衣場

男湯の脱衣場にある小さな中庭。風情ある庭から入り込む風が何とも心地よかった