「人の3倍描きなさい」と石ノ森章太郎先生からのアドバイス
「若い頃の楽しみの一つが、銭湯やサウナに行くことだったんです」と笑いながら昔を振り返るのは、今年漫画家生活55周年を迎えるすがやみつるさん。
国民的な特撮ヒーロー番組となった『仮面ライダー』(1971年)のコミカライズからスタートして、昭和のテレビゲームブームの象徴ともいえる『ゲームセンターあらし』(1979年)の大ヒットをはじめ、数々の漫画のヒット作を生み出してきた。漫画だけにとどまらず、小説や実用書も数多く発表。電子化された作品を含めると、これまでの著作は軽く200冊を越える。近年では大学で教鞭をとるなど、その活動は多岐にわたっている。
その幅広いキャリアを支えてきたものの一つが、厳しい環境で猛烈に働いてきた若き日々の経験であった。
「スタートは石ノ森章太郎(当時は石森章太郎)先生の作品の制作事務所である、石森プロに関わったことでした。ちょうど仮面ライダーの人気が急上昇して、先生の仕事量が急激に増加したころです。当時の先生は、月に500ページ以上原稿を描くほど多忙で、そのほかにも先生にはテレビ化された作品の監修の仕事もありました。先生の仕事場は練馬でしたが、石森プロは新宿にあり、自分はその中間の東高円寺に住んでいて、この3ヵ所の間を行き来していました」
そんな忙しい修業時代に、尊敬する石ノ森先生からかけられた言葉が忘れられないという。
「最初に先生から言われたのは、『おまえは絵が下手だから、上手くなりたければ人の3倍描け』ということでした。当時の石森プロのスタッフは、みんな私よりも絵が上手かったので。それでも先生から指名を受けて、仮面ライダーのコミカライズの仕事をいただいたときはうれしかったですね。先生の期待に応えるために、それこそ寝る間も惜しんで、ただひたすらに漫画を描き続けました」
当時20代前半だったすがやさん。練馬~東高円寺~新宿の間を往復しながら、「人の3倍描け」という先生の教えを守りながら漫画を描くことだけに集中していたという。その中で、疲れた心と体を癒やしてくれたのが、銭湯やサウナといった入浴であった。
「仕事場で寝泊まりすることもけっこうあって、そんなとき息抜きに行く銭湯が楽しかったことを覚えていますね。単なる入浴ではなく、心身をリセットするための貴重な場でした。当時の自分は長髪で、東高円寺の銭湯を利用したときシャンプーの泡が周囲に飛び散ってしまい、怖そうなオジサンからにらまれてしまったこともありました(笑)」
「今はAIを使って漫画を描いているんですよ」と語るすがやさん
昔も今も「銭湯は貴重な時間」であることは変わらない
若い頃は東高円寺付近に住んでいたすがやさん。その後、埼玉県所沢市に移るが、『ゲームセンターあらし』の大ヒットにより生活が安定すると、1983年に練馬区に家を建てた。それ以降、現在に至るまで40年以上、練馬が生活の拠点になっている。
「『ゲームセンターあらし』を描いているときも仕事は本当に忙しくて。昼に都内の編集部で打ち合わせをしてから夜遅くに所沢に帰ったりしていると、タクシー代が月20万円を超えることもザラだったんです。結婚して家庭を持ったこともあり、その出費を住宅ローンに回すという判断をして、練馬に家を建てることにしたんです」
練馬といえば、石ノ森章太郎氏のほかにも手塚治虫氏やちばてつや氏などが仕事場を構えていた場所である。さらに、近くには数多くの漫画家を生んだ伝説のトキワ荘(豊島区)もあった。まさに“漫画の聖地”に居を構えて、現在もしっかりと作家活動を行っている。日本の漫画界の大御所であるすがやさんだが、銭湯が大切な存在であるのは昔も今も変わらないという。
「家の風呂でもいいんですけれど、やはり外の銭湯というのは特別の感じがします。昔を思い出すということもありますね。この松の湯さんは昔から通っていますが、改装して、まるで神殿のように広くて、高いところにステンドグラスがあるなど豪華できれいなんです。お湯も程よい熱さで長く入っていられます。家の湯船では伸ばせない手足も大きく広げることができて、リラックスできますよね」
今回の取材場所の「練馬湯遊邸 松の湯」は、西武新宿線の武蔵関駅から徒歩5分という便利なロケーションにある。2025年に「エーゲ海」をコンセプトにしてリニューアル。ボディージェットや電気風呂など多彩な浴槽に加え、男女とも二つのサウナを楽しむことができる。明るい雰囲気の待合スペースには約3000冊の漫画が置かれており、その中にはもちろんすがやさんの『ゲームセンターあらし』もある。
「自分の漫画があるのは、ありがたいですね(笑)。まあ、自分は人から声をかけられるようなこともないので、のんびりと湯につかっています。実は、昨年肺炎で入院したんです。10日間くらいだったんですが、かなり筋力が落ちました。病院の先生からは『しっかり体力をつけてリハビリをしていきましょう』と言われまして。それもあって、積極的に銭湯に通うことは、行き帰りも体を動かすのでいい運動にもなると思っているんですよ」
時代を越えて読み継がれる名作の「ゲームセンターあらし」
休憩スペースのコミックスは子供から大人まで好評だ
「高齢者入浴券」と「路線バスのシルバーパス」を上手に利用する
エネルギッシュに漫画、執筆のお仕事を続けているすがやさんだが、昨年75歳となり後期高齢者の仲間入りをした。最近は練馬区からもらう「高齢者入浴券」も使うようになったという。
「東京都は各自治体ごとに高齢者向けの入浴補助の制度を整えていますが、練馬区は75歳以上に『いきいき健康券 』という公衆浴場補助券を出しています。一年で6枚、一回につき500円の補助があります。自分はまだ、後期高齢者という実感はあまりないんですが、入浴券は使わせてもらっています。やはり、これによって金銭的にも助かるお年寄りは多いんじゃないでしょうか。歳をとったらそれなりに無理をせずに、お得な制度は利用して楽に生きたほうがいいんじゃないでしょうか」
まさに自然体で年齢に応じた生活を過ごしているすがやさんだが、もう一つ銭湯通いに積極的に利用しているのが「路線バスのシルバーパス」だ。こちらはご自身が書かれた書籍『<東京都民&70歳以上限定?>いきあたりバッタリ東京都内シルバーパスの旅』(すがやみつるBOOKS)の中で体験に基づき、使い方を詳しくまとめている。
「今住んでいる練馬は、この松の湯をはじめ銭湯がたくさんあるんですが、自分の家から歩いていくには少し遠いところもあるんです。自転車を使うときもありますが雨の日もあるので、便利なのはやっぱりバスですね。東京都には70歳以上が割引になる『シルバーパス』の制度があるんです。住民税非課税者、または所得金額135万円以下だと1000円で購入可能なんですが、5回くらい乗れば元が取れるでしょう。もちろん、お金の節約だけでなく、バスの中から見る景色で心が癒されるなどの良さもありますね」
すがやさんの本を読むと、吉祥寺や三鷹など大きな駅からさまざまなバスの路線が出ていることがわかる。さらにその先にある銭湯をはじめ、居酒屋など、さまざまな魅力的なスポットが紹介されている。まさに銭湯をバスで巡ろうと考えている人にとっては、“必携の一冊”である。
練馬区の「いきいき健康券」(上)と「東京都のバスのシルバーパス」(下)
立川談志師匠が建てたバスの停留所
「バス停と銭湯といえば、面白い話があるんです。大泉学園に『たつの湯』という銭湯があって。落語家の立川談志師匠がここの熱いお湯が好きで、お弟子さんを連れて生前よく行かれていました。銭湯の近くのバス停の脇から伸びている細い道は師匠が通っていたので地元では“談志ロード”と呼ばれていたとか。もっとも当の師匠は道のことよりも“あそこのバス停はオレが建てたんだ”と周りに言っていたそうです。シャレが効いていますよね(笑)」
談志師匠といえば“銭湯は裏切らない”という名言が有名だが、地元でも魅力的な人柄で親しまれていたことがうかがえる、銭湯らしい心温まるエピソードだ。
「この前、元のトキワ荘があった場所にできた漫画ミュージアムで赤塚不二夫先生の原画展があったんです。赤塚先生の生原稿を見ることができましたが、やはり手書きの原稿は息を飲む迫力がありますね。自分も今はデジタルで描いているんですが、昔の手描きの時代の良さも知っている人間として、これからも漫画の魅力を伝えていきたいと思います」
まさに「銭湯に人あり。そこに文化あり」である。果てなき創作のパワーの源は、地元・練馬の銭湯にあることは間違いない。
(取材・文:銭湯ライター 目崎敬三 写真:編集部)
路線バスの停留所の「小関」。この近くの路地に「談志ロード」がある
すがやみつる
1950年静岡県生まれ。1972年『テレビマガジン』(講談社)にて『仮面ライダー』(原作・石ノ森章太郎)で漫画家デビュー。『ゲームセンターあらし』など数々のヒット作がある。本名の“菅谷充”名義にて小説作品も多数発表。2013年から21年まで京都精華大学マンガ学部キャラクターデザインコース教授を務める。

『<東京都民&70歳以上限定?>いきあたりバッタリ東京都内シルバーパスの旅』(1540円・税込)』はamazonで発売中
【取材地DATA】
練馬湯遊邸 松の湯(練馬区|武蔵関駅)
●銭湯お遍路番号:練馬区 30番
●住所:練馬区石神井台7-11-1(銭湯マップはこちら)
●TEL:03-6904-7667
●営業時間:15時~23時
●定休日:水曜
●交通:西武新宿線「武蔵関」駅下車、徒歩5分
●X(旧Twitter):@matsunoyu_1010
※記事の内容は掲載時の情報です。最新の情報とは異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください
「松の湯」の正面。入り口の招き猫がお出迎えしてくれる
浴室の上にあるステンドグラスが異国情緒をかきたててくれる









