ソメイヨシノが咲きそろった中野通りの桜並木を眺めた後、中野駅から程近い天神湯の撮影に向かった。心地よい風と暖かい日差しで心も陽気になる週末に、行き交う人々は春を楽しんでいた。

銭湯を撮影するのは久しぶりだ。ここ10年以上、2ヵ月に1度のペースで撮影していたが、昨年から撮影回数を年3回に減らすことを決めた。回数が減ったことを寂しく思う反面、1回ごとの撮影がとても尊いものに感じられる。

地域の住民しか通らないであろう細い路地に、似つかわしくないほどの人と車が行き交う。その路地に面して天神湯があり、その周囲にはかつての商店街の面影が今も残っている。そして現在では、若者が営む洋服店などが、この路地に新しい息吹を吹き込んでいる。

2023年12月に天神湯は、数々の入浴施設のデザインを手がける今井健太郎氏による設計で、全面的なリニューアルを行った。

昭和30年頃に建てられた建物の雰囲気を残しつつ、レトロモダンに生まれ変わった天神湯は、今井氏が得意とする照明の演出はもちろん、細部に至る意匠の秀逸さが他の追随を許さない天神湯の魅力を生み出している。

全てを新しく造り替えるのではなく、ご主人の松本吉司(よしじ)さんと女将さんの佳枝(よしえ)さんの意向を反映して、いくつもの意匠が残された。
浴槽の壁際に描かれた魚のタイル絵や、脱衣場のシャンデリア、目立たない場所に蟹の姿が刻まれた排水溝の蓋など、お二人の天神湯に対する愛着が伝わってくる箇所が随所に残されており、その思いは利用者である私たちの心にも確かに届いている。

新しく洗練された姿も魅力的だが、人が使った痕跡があるものには、見る者の心をそっと和ませる力が宿っていると思う。

この天神湯は女将さんの実家であり、女将さんの父が細部まで贅を尽くし、こだわり抜いて造られた銭湯である。柱の礎石の御影石や浴室の天井のなめらかな湾曲など、目を凝らせば当時の職人の技術の高さと、素材にこだわり抜いた建物に対する思いが手に取るように伝わってくる。そうした思い出が詰まっているからこそ、我々も懐かしさの中に安らぎを覚えるのだろう。

また、東京の銭湯といえば、富士山の背景画は浴室の空間を彩る象徴的存在であり、銭湯文化の中で育まれてきた芸術の一つである。天神湯の背景画は、2018年に丸山清人さんによって描かれた。男湯と女湯にまたがる壁一面に描かれたその絵は、河口湖から見える富士山で、実際にその場にいるような錯覚を味わえる演出が素晴らしい。その背景画の下の魚のタイル絵は、まるで河口湖で泳ぐ魚のようで、その遊び心に癒やされた人も少なくないはずである。

時には小学生が友達数人と天神湯にやって来て、はしゃぎすぎて常連さんに叱られることもあるという。ご主人と女将さんも地元の子供たちの成長を楽しみにしており、そのような社会勉強の場となることも喜んでいた。浴室には熱湯と水風呂があり、子供たちはそれを行ったり来たりして楽しんでいるようだ。

天神湯には子供たちの戯れを受け入れる懐の深さが残されており、存分にはしゃいで叱られて、銭湯は「良い気持ち」になれる場所、という思い出をたくさん作ってもらいたい。

ところで、ご主人も女将さんと同様に銭湯で生まれ育ったという。実家は東中野の人気銭湯、松本湯。幼い頃から銭湯に親しみ、銭湯とは切っても切れない人生を歩んできたご主人との会話からも、天神湯への愛着と銭湯の存在の大きさが伝わってくる。

リニューアルをする前は、設備の限界も迫っており、自身の年齢も考えて、天神湯を閉める選択が脳裏をよぎったこともあったという。だが、その思いは打ち消され、壊れたところを修理して続ける道を選んだ。今ではリニューアルをして営業を続けることで、将来天神湯を誰かが引き継いでくれるかもしれないという希望も湧いてきた。

ご主人と女将さんが口を揃えるように言っていたのが、「銭湯はあって当たり前のもの」。お二人の歩んできた背景から自然とその言葉が出てきたが、日本の社会にとってもそれが当たり前のことであってほしい。

すべての人に平等であり、他者を思いやり自然と人に寄り添ってくれる銭湯は、これからも日本の社会になくてはならない存在だと思う。そして、日本に銭湯があることを誇りに思う人が増えることを願っている。

(写真家 今田耕太郎)


【DATA】
中野温泉 天神湯(中野区|中野駅)
●銭湯お遍路番号:中野区 21番
●住所:中野区中野5-10-10 (銭湯マップはこちら
●TEL:03-3387-2657
●営業時間:15時~23時半(最終受付23時)
●定休日:木曜、第1水曜
●交通:中央線「中野」駅下車、徒歩7分
●ホームページ:http://tenjin-yu.tokyo/JN/


今田耕太郎

1976年 北海道札幌市生まれ。建築写真カメラマン/写真家。
2014年4月よりフリーペーパー「1010」の表紙写真を担当。2015年4月からはHP「東京銭湯」のトップページ写真を手がける。
http://www.imadaphotoservice.com/

※今田耕太郎さんが15年にわたって撮り続けてきた銭湯の写真が1冊の写真集になりました。

写真集「東京銭湯 SENTO IN TOKYO」
発行:株式会社ネクト編集事務所 価格:6050円(税込)
販売公式サイト:https://shop.nect-tokyosento.site
Amazon販売ページはこちら

紹介記事はこちら


写真集『東京銭湯 SENTO IN TOKYO』

 

帝国湯(荒川区)

 

小平浴場(小平市)(※廃業)