私たちの歴史の中で、健康に役立つと考えられ、習慣的に使われてきた動植物(一部の鉱物も)はたくさんあります。そういう動植物は、薬効成分が正式に医学の世界で認められなくても、「民間薬」という呼ばれ方で重宝されます。大昔はまじないや祈禱などでも使われたのでしょう。そして、ふとした興味から医学的な研究対象となり、その効力が証明されて、晴れて医薬品となる民間薬もあります。

例えばイチョウの葉。医薬品としてのイチョウ葉の研究は1950年代から始まり、1965年にドイツのウイリアム・シュワベ博士が葉のエキスを用いて、脳や末梢血管の改善に効果があることを発表しました。博士によって開発された「EGp761」というイチョウ葉エキスが、アルツハイマー型痴呆や脳血管性痴呆などの改善に一定の効果が認められたことで注目を集め、1974年にフランスで、1975年にドイツで医薬品として開発されたのです。そのころ、日本でも健康雑誌が取り上げるなどして、イチョウの葉は健康食品として人気を博しました。

今年7月30日(土用の丑の日)に都内の銭湯で行われる「丑湯」に使われる桃の葉は、残念ながらまだ本格的な医学研究の対象にはなっていませんが、古くから健康に役立つ植物として重宝されてきました。薬効があるとされる植物の葉や根や茎を切ったり、乾燥したり蒸したりしたものを生薬といいます(生薬には動物由来のものも鉱物由来のものもあります)。漢方薬はこの生薬を複数組み合わせたものですが、桃の葉も桃葉(とうよう)という名の生薬で、中国では昔から使われてきました。薬学系の大学のホームページには、桃についていくつかの記述があります。

「中国原産の落葉高木。中国では4000年以上も前から栽培されている。日本には、弥生時代以前に伝わったとされている。果実は生食するが、薬用部位は種子で桃仁(とうにん)と呼び、消炎・鎮痛などの効用を示す。(中略)杏仁(あんにん=アンズの種子)と同様に青酸配糖体であるアミグダリンを含有する。また、花は白桃花という生薬で、下剤となる。さらに、民間的に葉は湿疹などによいとされ、入浴剤などに利用される」(大阪医科薬科大学)

「種子は駆瘀血(血の滞りを除く)作用があり,婦人科系の諸症状に用いる。また、神経痛、乾燥性の便秘、打撲傷やそれに伴う内出血、疼痛などにも用いる。漢方処方は桂枝茯苓丸、桃核承気湯、潤腸湯などに配合される。葉は日本では浴湯用としてよく知られ、刻んだ葉を風呂に入れて夏場のあせもや湿疹、かぶれなどに用いる。頭のふけには葉の煎液で洗う。花や蕾は便秘の緩下剤として用いられるが、作用が強いため虚弱者や妊婦は気を付ける。(中略)中国では桃の花の咲き乱れる桃源郷を理想とすることや、桃の強い生命力から邪気を払う魔よけの作用があるとされた。日本でも桃の節句に花を飾り、魔除けに桃酒を飲む風習がある」(熊本大学薬学部)

桃の葉はまだ医薬品というステータスこそ得られてはいないものの、今日、化粧品や医薬部外品の素材としては活用されています。例えば桃の葉ローションとか、桃の葉エキス配合洗顔ローションとか、皆さんも一度くらいは目にしたことがあると思います。このステータスに桃の葉が上ったのは、おそらく1992年に花王株式会社研究所が発表した報文(完結した研究の成果を整理・統合した論文)「モモの葉抽出物の抗炎症作用および入浴剤への応用」がきっかけになったのではないかと推測します。実験過程や調査データは省略します(下記URL参照)が、この報文の総括に、こう書かれています。

「モモの葉の急性炎症に対する効果を検定した結果、モモの葉抽出物の浸漬適用(液体に漬け浸したものを用いること)により、紫外線紅斑(※)抑制効果、カラゲニン浮腫(※)抑制効果が認められ、(中略)モモの葉による抗炎症作用が示された。さらに、モモの葉エキスを配合した入浴剤浴により、ヒト日焼けモデルにおける紅斑抑制効果が認められた。これらの効果により、モモの葉を応用した入浴剤浴の、日光皮膚炎、汗疹等、炎症性皮膚疾患に対する有用性が示唆された」
※紫外線紅斑:紫外線を浴びた後皮膚が赤くなること。簡単にいうと日焼け。
※カラゲニン浮腫:寒天状のむくみ。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sccj1979/26/3/26_3_177/_pdf

つまり、夏の太陽でダメージを受けた肌に対して、桃の葉は回復力を発揮するということです。その桃の葉のどんな成分が効果を発揮するのか気になるところですが、報文では青酸配糖体やタンニンやテルペン類などいくつかの物質を挙げているものの「いずれも皮膚疾患に対する有効成分としての確証は得られていない」としています。

話を「丑湯」に戻しましょう。丑湯とは、土用の丑の日に夏バテ防止や疲労回復のため、薬草を入れた湯船に入ることで、桃の葉以外にもヨモギやドクダミや緑茶などが使われていたようですが、江戸時代に桃の葉湯が丑湯の定番となったといわれています。そしてこの日に丑湯に入ると、一年間、無病息災、元気に暮らせるといわれています。

なぜ桃の葉が用いられたのかは諸説ありますが、本草綱目には桃の葉の薬効が記載され、葉を直接幹部に塗りつけることによって、慢性蕁麻疹やかぶれ、やけどなどに効果があるとされています。古来より桃は「魔よけの力を持つ」とも語り伝えられており、暑気払いの意味を含めて、夏の土用には、桃の葉を入れた湯に浸かる習慣ができたのではないでしょうか。

東京都内の銭湯では7月30日にももの葉湯を実施します。
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