銭湯でも地方の温泉でも、広い浴槽に入浴すると「気持ちいい」と感じることに例外はないと思います。それを体験してしまうと、どうしても家庭の小さな浴槽につかるとき、ある種のストレスを感じてしまうものです。なぜそれほどの気分の差が生まれるのか、医学的にはすでに30年以上前(1994年)に解明されていました。東京都浴場組合が、当時北海道大学教授だった故・阿岸祐幸先生に依頼して行った実験によってです。この研究内容は「銭湯で元気」②~⑥で詳しく解説しましたが、一言でいうと、広い浴槽につかることで「α波」というリラックス状態を示す脳波が多く出現する、というのが根拠でした。

その画期的な実験から22年後、住宅設備機器メーカーのTOTOと東北大学加齢医学研究所が再び「入浴姿勢に関する実験」を行い、広い浴槽の新しい価値を発見したのです。研究責任者はTOTO(株)総合研究所・加藤智久氏で、論文の表題は「入浴姿勢が脚部関節トルクと脳活動に与える影響」。それは、家庭の浴槽にはない、体の負担軽減と脳の鎮静を同時に説明できる「体と脳のリラックスの科学」と呼べるものでした。早速ご紹介しましょう。

実験は2つに分けて行われました。第1実験は右利きの健康な成人男性12名を対象に、湯温36~37℃に設定した浅めの浴槽で行われました。被験者は浴槽に座った状態で「脚を伸ばして入浴する姿勢」と「膝を曲げて入浴する姿勢」を取り、その違いによって体にかかる負担がどう変化するかを調べました。この計測は本来「関節トルク」という専門的な概念ですが、ここでは「関節や筋肉にどれだけ余計な力がかかっているか」と考えてよいでしょう。浴槽内では浮力によって体重の負担は軽くなりますが、それでも姿勢の違いによって、体にかかる力の分布は大きく変わることが分かりました。

結果は、脚を伸ばした姿勢のほうが、膝や股関節まわりにかかる余計な力が少なくなり、足首や股関節が全体として自然に支えられた「力を抜きやすい状態」になるというものでした。一方、体を折りたたむ姿勢では、脚全体に細かな力が入り続け、本人が意識しないうちに緊張が残りやすくなることが示されました。

銭湯の大きな浴槽なら脚を伸ばしてリラックスした姿勢がとれる(写真:新宿区・柳湯

 

第2の実験では、同じく右利きの健康な成人男性20名が被験者となりました。条件は第1実験と同様で、浅めの浴槽、湯温36~37℃とし、入浴姿勢と浴室の照明条件が、認知機能と深く関係する前頭前野の活動にどのような影響を与えるか、つまり「脳がどのような状態になるか」を調べることが目的でした。

この実験で用いられたのが「近赤外分光法」という、光を使った脳活動の計測方法です(日立メディコ社製)。これは、前頭部の脳に近赤外線を当て、血液中の酸素の変化から脳の活動の強さを推定する方法で、身体への負担が少なく、入浴中の計測にも適しています。その結果、興味深いことに、脚を伸ばした姿勢のときには、前頭部の一部、特に左側の前頭前野で、活動が穏やかになる傾向が見られました。論文には次のように記されています。

脚部を伸展した入浴姿勢で運動性言語関連領域の活動が低下するという結果は、脱力を伴うリラックスによって言語的な思考から開放されたという可能性を示唆する。

これはどういう意味でしょうか。前頭前野は、「言葉を使って考える」「あれこれと思案する」といった働きを担う部位であり、日常生活では常に活発に使われています。その活動が落ち着くと、頭の中の独り言や雑念が減り、何も考えずにぼんやりするような、休息に近い状態が生まれます。研究者がこれを「言語的思考からの開放」と表現したのはそのためです。つまり脚を伸ばした入浴姿勢は、脳を「考え続けるモード」から「休むモード」へと切り替えやすくする可能性が示されたのです。言い換えれば、「脚を伸ばす→身体の負担が減る→脳が自然と静まっていく」という連鎖が起きていると考えられます。

ここで想像してみてください。家庭の浴槽では、多くの人が膝を抱えるように体を曲げた姿勢で入浴しています。一方、銭湯の浴槽では、足をしっかり伸ばし、背中も浴槽の壁に預け、体を丸める必要がありません。この研究結果を踏まえると、その違いは単なる「広い・狭い」という快適性の問題ではなく、筋肉の緊張の有無や、脳の働き方にまで及ぶ、生理学的な違いにつながっていると考えられるのです。

体が伸びると胸が開き、呼吸も深くなり、湯の浮力が全身を支えてくれるため、普段よりも重力から解放された感覚を強く味わえます。さらに、銭湯では家庭よりも湯温が均一に保たれやすく、体が芯から温まる時間を十分に確保できる点も特徴です。こうした条件が重なることで、血流の改善や疲労回復に役立つ可能性が高まると考えられます。これこそが、銭湯入浴のかけがえのない価値といえるでしょう。

銭湯の広い浴槽につかって体と心を休ませよう(写真:大田区・第二栗の湯

 

さらに注目したいのは、脚を伸ばすという「ごく自然な姿勢」が、特別な訓練や意識を必要とせず、誰にでも再現できる点です。リラクゼーション法というと、呼吸法や瞑想、ストレッチなど、ある程度の知識や努力を求められるものが少なくありません。しかし銭湯の広い浴槽では、ただ足を伸ばして湯に身を委ねるだけで、筋肉の緊張がほどけ、脳の活動が静まる方向へと導かれる可能性があるのです。

また、言語的思考が鎮まるということは、仕事や人間関係、日常の雑事といった「頭の中の言葉の渦」から、一時的に距離を置けることを意味します。現代人は起きている時間の大半を言葉と思考に支配されていますが、銭湯でのびのびと入浴する時間は、その連続した思考の流れを自然に断ち切る、貴重な“空白の時間”になるのではないでしょうか。

こうした点を踏まえると、銭湯の広い浴槽は単なる入浴設備ではなく、「体を伸ばすことで、心と脳を同時に休ませるための環境」と捉えることができます。日々の疲れを感じたとき、特別なことをしなくても、銭湯で足を伸ばして湯につかる——その何気ない行為こそが、現代人にとって最も身近で、かつ科学的根拠のあるセルフケアの一つなのかもしれません。


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