平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


○月×日
夏らしい暑い日が続く。フロントの挨拶も「暑いですねえ」が単なる時候の挨拶を通り越して、ボヤキにもなっていますな。

「ウワァ涼しい、いい気持……」
入ってくるなり冷房の涼気に大仰に背中を伸ばされたのは中年の奥さん。
「もうここまでくるのに汗びっしょり」とも言われる。
「いやあ参った。工事現場での仕事だからへルメットに長袖だろ、暑いなんてもんじゃないよ。一ん日にシャツを何枚も取り替えるからランドリーで洗濯するのも忙しいよ」
とは、やはり中年の男性。とにかく皆さん、暑さにうんざりした感じである。街全体がうだっているようだ。

80過ぎの常連ダンナが湯上がりでフロントへ出てきた。そして言う。
「なんでまあ今年は暑いんだろうねえ。あたしはね、若いときは夏に強かったんだ。暑いと喜んだくらいなんだよ」
「ホウ、夏がそんなによかったんですか?」
「ウン、商売のせいもあったんでね。あたしは将棋の駒を作る仕事をやっていたから、夏になると縁台将棋が盛んになって仕事が忙しくなったんだ」
「ホホウ、縁台将棋ねえ。そういえば夏になると、あっちこっちで縁台将棋をやっていましたなあ。でも最近は将棋を指す人も少なくなったようですねえ」
「そうね、時代だろうねえ。今じゃほんの一部の人だけだもんな」

夏の夕景の定番でもあった縁台将棋がなくなったのはいつ頃からだろうか。

アタシらの若い頃は各家庭には将棋の駒が大抵置いてあったもんだ。そして家庭での遊びは将棋かトランプ、百人一首などが盛んだったが、現在ではそのほとんどが一般的に行われなくなっているようだ。文明の発達はテレビを始めとして、ゲームやパソコンなどなどへ若い人の関心が大きく移行している。遊びが「個」を中心になっているようだ。家庭から家族・友人が集まってトランプなどに興じる団らんの一時はもうなくなったのかねえ。

当湯のお客さんでよく自転車の荷台に将棋盤をくくりつけて風呂に見える方がいる。聞けば墨田区にある「生き生きプラザ」で将棋を教えているらしい。この方も70過ぎであり、「生き生きプラザ」も高齢者が交流する施設だそうである。

そういえば、やはりうちのお客さんでマージャン屋さんをやってる方がいるんですが、この人が言ってましたなあ。「今ね、高齢者マージャンの集まりっていうのをやってんですよ」と。こんなところにも若い人のマージャン離れを垣間見る。

時代がどんどん変化していく。そして人間の有り様も変わっていく。しかしアタシャどうもゲーム、ケータイ、パソコンなどなど、現代の機器には今いち馴染めない。つい「昔はよかったなあ」と思ってしまう。老いでしょうなあ。

元将棋作りのご老体がお帰りになった後に40前後の男性が見えた。明るくて話好きなヒトである。アタシャちょいと聞いてみた。
「アンタ縁台将棋って知ってる?」
「エンダイ? それなんですか? 将棋は知ってますけど……」
「昔ね、夏になると縁台を表へ出してそこで将棋をしたのよ。『ヘボ将棋 王より飛車を大事がり』なんてね」
「それ何です? 将棋のオマジナイですか?」
オマジナイ? オイオイ、もう会話も通じねえや。時代だなあーー。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 
昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2009年8月発行/99号に掲載


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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

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