平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。
5月5日は恒例の菖蒲湯である。菖蒲湯は冬至のゆず湯と並んで銭湯の年中行事だが、近年は10月10日の「銭湯の日」にラベンダー湯を行っているから、この3つが大イベント? になっている。そして、菖蒲湯もその昔から見たら当然ながら大きく様変わりをしてるんだな。ということで今日は菖蒲湯の変遷についてちょいとウンチクを垂れてみようと思う。
菖蒲湯の起源は遠く室町時代(1400年代)なんだってさ。600年も前だよ。なんともまあ古いことを飽きずにやってきたもんだねえ。そこで、とりあえず菖蒲湯の由来などについて書いてみようかな。例によってモノの本の受け売りなんだが……
「中国では古来、菖蒲を軒につるしたり枕の下に置いて眠ったりして無病息災を願ったそうだ。これには菖蒲の形が刀に似ており、またそのさわやかな香りが邪気を払うと考えられてきたからだ」と言うんだ。ジャキってなんだか知ってる? エッ、ジャッキーチェンなら知ってるって? オイオイ、邪気ってね「病気などを起こす悪い気」なんだってさ。
話が脱線しちゃったけど、その邪気を払うという中国の言い習わしが日本に伝わり、聖武天皇の時代に宮中で端午の節句に菖蒲が使われ始めたという奈良時代の記録が残っているそうだ。奈良時代とはまたおっそろしく古い話だねえ。まァそれ以降、武士の時代には「尚武」という字が使われ、武運を祈り病気にならず、すくすくと元気に育つ男の子のための植物として捉えられるようになり、端午の節旬の5月5日に「菖蒲湯」となったんだっていうんだよね。
ついでに書くと、菖蒲湯のほかにも、中世以降は五木といって梅・桃・柳・桑・槐(えんじゅ)なども湯に入れたようだ。中でも、桃湯ってのは夏の土用中に桃の葉を風呂に入れると皮膚病やアセモに効能があったと言われたらしいんだけど明治の末頃から行われなくなったという。
さて、話は戻ってアタシがこの稼業に入った昭和20年から30年代の菖蒲湯ってえのはそりゃあ賑やかなもんだったよ。アタシの愚作である「湯屋番50年・銭湯その世界」からちょいと抜き書きしてみるとーー。
「菖蒲湯は大狂想曲に包まれる。子供を中心に歓声が浴室にこだまする。この歌声はドラムに和太鼓の合奏のようだ。菖蒲の茎の部分を使って笛をつくりピーピーピーピー、これは横笛にトランペットか。さらに祭りの鉢巻きよろしく菖蒲を頭に巻き付ける。こうすることによって『頭がよくなる』というオマジナイらしい。とにかく浴室全体がソヤソヤッ! というお祭り気分に包まれるんだ。そしてね、時間の経過とともに古い菖蒲を回収し新しい菖蒲を入れたバケツを持った番頭が浴室に現れると、客は歓声を上げて寄ってくる。そこで番頭は気分よさそうに菖蒲を浴槽にバラまく。菖蒲湯の番頭は狂想曲のコンダクターでもある……」
ところが平成の菖蒲湯は循環濾過器等、時代の変化による新しい多くの機能が導入されて菖蒲を袋に入れて湯に浮かせるだけというまったくおとなしいものになっている。時代がどんどん変化して、この先いったいどうなるんだろ。
さて最後に、菖蒲湯の江戸川柳を三つばかり。
《においよし年に一度の菖蒲の湯》
《銭湯を沼になしたるアヤメ(しょうぶ)かな》
《悪ふざけ菖蒲湯にきてくらべウマ(馬)》
ウマって分かるかな?ーー。
【著者プロフィール】
星野 剛(ほしの つよし)
昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。
【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2009年4月発行/97号に掲載
■銭湯経営者の著作はこちら
「東京銭湯 三國志」笠原五夫
「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫
「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛
「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)
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