平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。
所用のため自転車で街へ出た。いたるところに高層マンションが建設されている。3年後に押上駅に隣接する東武鉄道の敷地に世界一だというタワー(東京スカイツリー)ができるんで、それを中心に街が変貌していくようだ。「下町にあんなタワーが必要なのか」という意見も聞かなくはない。アタシもそんな感じがするんだが、かつての下町はなくなり、都内がいずこも同じような街になっていくのであろう。下町情緒や人情など思い出話の中に封じ込められていくんだ。とまあ、出だしから何やら感傷的な書き出しになっちまったが、本題に入ろう。
自転車に乗っていて思うんだな。マンションの工事現場には必ずタスキ状になった模様入りの上着を着て旗振りをしている警備員が立っている。この人達を見ると当湯のお客さんの何人かを思い出すんだ。そこで今日はそういう人達を取り上げてみよう。
まずは週に2~3度見える男性、60代半ばかな。この人は見えると必ず仕事のことを話される。簡単に「今日は夜勤なんだ。これから7時に出て明け方4時までやんのよ」
「ホウ、結構長いんですなあ。寒い時なんか大変でしょう」
「そッ。寒い時はちょっとね。それと夜は眠くなってねえ」
と言いながらも
「でもね、時給は安いけど、真面目にやっていれば結構仕事が回ってくるしねえ。なんたって真面目が一番よ」
と几帳面なところも見せられる。
この方と対照的な人も見える。もう70近いかなあ。どう対照的かといえばフロントでいつもボヤキ節なんである。
「昨日は夜勤だったから眠くてしょうがないよ。この寒いのに夜中に道路に突っ立っているんだからねえ。給料は安いし時間は長いからいい仕事があったらやめたいんだけど、もうこの年になるとほかに仕事もないしさあ。仕事がなくなれば家賃だって払えなくなっちゃうしねえ」
といった調子である。ちょっとわびしいですな。
お次の人は毎週一回ほど顔を見せる60代半ばの人。定年退職をされて今までの会社に非常勤で働いていたようだが、この頃はあまり仕事がないそうである。アタシが聞く。
「今は何をやってんの?」
「ウン、今までの解体屋で頼まれると手伝うという形なんだけど一ン日やると5日ぐらい仕事がないんだ。遊んでばっかりいられないから今度、警備の仕事をやろうと思うんだ」
「警備って工事現場で棒を振ってるあれかい?」
「そっ、警備だと一週間に5日ぐらいやれるらしいんだ」
と言いながら手を左右に振って棒振り? の格好をされた。明るい人である。
続いては金曜日、つまり敬老人浴デー(※)になると3人の孫を連れてお出でになる70少し過ぎのお人。この人がこんなことを言われたんだ。
「なんにもやらないんじゃボケちゃうし、孫の小遣い稼ぎに区役所にあるシルバー人材の紹介で週に3日ほど働いてんだ」
「仕事ってどんなものなの?」
「主に警備の仕事なんだが、催し物がある時の会場警備や整理とかだね」
ホウ、皆さんなんだかんだと頑張っているんですなあ。確かに人間、いくつになっても動けるときは働いたほうがいいですよねえ。65や70は壮年時代の昨今、年金生活で孫のお守りで明け暮れてんじゃあ、ボケますもんねえ。アタシも警備員さんを見習ってもう少し頑張らなくっちゃねえ。そういえば最近ラクをしているせいか体調が今いちよくない。何よりも忘れっぽくてしょうがない。「物忘れボケがきたかと苦笑い」 という川柳があるけど、苦笑いで済めばいいが――。
※「敬老入浴デー」は墨田区独自の制度です
【著者プロフィール】
星野 剛(ほしの つよし)
昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。
【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2009年2月発行/96号に掲載
■銭湯経営者の著作はこちら
「東京銭湯 三國志」笠原五夫
「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫
「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛
「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)
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