平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。
最近、開店と同時に見えるようになった60代半ばのおばちゃん。今日は風呂から上がってくるとアタシにしみじみと言う。
「いい歌をやってるから帰りたくなくなっちゃうわ」
脱衣場には有線放送が流れているんである。
「ゆっくりしていきなさいよ。演歌が好きなんですね?」
「そう、大好きなの。お風呂から上がって演歌が流れているとつい聞きほれちゃうわ。今はテレビでも歌謡曲がほとんど放送されないでしょ」
「そんなに好きならゆっくり聞いていきなさいな」
「でも、あんまりのんびり椅子に座っていると後のお客さんに悪いもんねえ」
ホホウ、優しい人だな。周囲のことを気遣うなんていいねえ。
そしてもう一人。こちらは、もう仕舞い間際の12時少し前、50代の男性が流れてくる歌謡曲に「昔の歌はいいねえ」と、これまたしみじみと言う。さらに50前後の解体屋さんだという男性。有線放送を聞いて
「なにか居酒屋みたいだな」
「居酒屋って有線が流れているの?」
アタシャ居酒屋での有線放送は知らないから聞いてみた。
「そう、毎日のように飲みにいってるけどいつも演歌が流れているよ」
ホウ、居酒屋と演歌ねえ。相性がよさそうですな。
そこで銭湯の脱衣場と有線放送になるが、銭湯と演歌も相性が悪くないようだよね。
アタシが脱衣場に有線を導入したのはもう19年前になる。現在の浴場を改築したときに、当時としては公衆浴場にサウナを併設する事は珍しかったんだが、そのサウナ室に音楽を流そうと思い有線放送を入れたんだ。有線も当時だと銭湯では珍しかったがね。現在ではサウナ室にテレビを設置してるところも多くなっている。
そしてね、サウナ室には有線を終日流しているが、脱衣場はテレビとの併用なんである。開店から夕方のニュースが始まる頃まではテレビは脱衣場向きの放送が少ないんでね。というと「脱衣場向きの放送とは?」となるが、早い時間帯のお客さんは平均して高齢の方が多いので、今はやりの若いタレントがギャアギャアやっている番組は好まれない。そういうアタシもその口なんだが、大体脱衣場で湯上がりに見るテレビはちょっとくつろぐ時に目がいく程度で、じっくり見るドラマ等は家庭で見るものだから、肩の凝らない番組が最適なんですな。そして、11時半過ぎるとそろそろ閉店が近いのでまたテレビを有線に切り替えるっていう段取りなんだ。
有線放送については以前「風呂屋のオヤジの番台日記」に書いたことがあったねえ。ちょいとその単行本をめくってみるとこんなことが書いてあんな。
――脱衣場のテレビが故障した。四六時中働きづめなのでたまには休みたくもなろう。で、主役が有線放送になった……。しかし風呂屋で使える範囲はさほど広くない。ジャズを流していたら「ご主人、歌の入ってる演歌にして……」。ヒマなもんで静かな雰囲気と、柄にもなくクラシックのBGMを流してみれば「オヤジさん、なんだかワケがわからん。エンカがいいな」。なんといっても演歌がダントツ。やはり銭湯・公衆浴場なんである――
脱衣場のテレビからコマーシャルなのか、美空ひばりの歌が聞こえてきた。うん、エンカはいいねえ。オヤッ、オヤジも演歌好きなんかい? うん、古い歌しか知らないけど。ヘ~ッ、いつもツマンネエ顔をしてフロントに座っているけどねえ。オイオイにこにこしてるっていうお客さんもいるんだぜ。 ヘッ――。
【著者プロフィール】
星野 剛(ほしの つよし)
昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。
【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2008年8月発行/93号に掲載
銭湯経営者の著作はこちら
「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛
「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)
「東京銭湯 三國志」笠原五夫
「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫
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