平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月×日
「エッ、子供はタダなの?」
「ええ、保護者同伴の幼児は2人まで無料になったんです」
「そうなの。2人までがタダ? そうすっと、4~5人連れてくるとどうなんの?」
「5人も? アンタねえ、幼稚園の園長さんじゃないんでしょ?」

というようなことで、浴場組合が「未就学児2名までを無料」とするサービス制度を始めて1年がたった(※)。昨今では2人の子供を連れた若い奥さんが大人1人分・400円をスッと出される。幼児無料をきっかけとして、銭湯になじみの薄かった人たちが親子入浴を楽しんでくれるようになったのはうれしいことである。

銭湯での親子のふれあいについて、少々前になるが、週刊文春のコラム「もういくつねると・野坂昭如」にこんなことが書いてあった。アタシャ参考になったんでちょっとメモしておいたんだ。

――近ごろ、親子の会話がないなどと、したりげに言うやからがいるが、以前だって小学校の上級生になりゃあ、父親と今日一日の出来事についてしゃべったりしやしなかった。しゃべるとすりゃ、海や山へ一緒に出かけたとき。悪いことは言わない。いかに内風呂があっても月に1度は子供と銭湯へ行け。サッカーを観るよりずっと打ち解ける――

いかがですかな。野坂さんは、「銭湯にこそ親子の会話がある」と言ってくれる。いいねえ。そうなんですよ。手前ミソになるけど、手狭な内風呂から銭湯へ来ると子供はのびのびとするんだよね。
そして、大きな浴室で家族はもちろん、知らない人とも一緒になってたっぷりとした湯で遊ぶ――。
こんなふれあいの世界が子供に風呂の楽しさを覚えさせ、その楽しさが子供の成長へとつながっていくんだ。

ここで話が少~し変わるけど、アタシね、10年以上前から「よい子の入浴教室」ってえのをやってんだ。発端は高度成長・1億総中流意識とかで内風呂が急増し、銭湯から子供の姿が減っちまったことだ。で、このままじゃイカン、子供に銭湯文化を知らしめなくっちゃと気張ったんだな。そして起こしたアクションが町会の子供会入浴よ。開店前のいっときを使うんだが、これが好評でねえ。その後、クチコミから幼稚園の卒園の記念に……などの申し込みがあったし、近年はT保育園の定番行事になっている。ちなみに今年は9月に行う予定である。

そこで入浴のプログラムだが、T保育園の場合、15~16人の園児をお母さん方が6~7人で引率してくる。時間は午後1時から3時までの2時間である。

まずアタシが簡単な入浴マナーを教える。そして洋服は自分で脱げ、風呂場では自分で体を洗えと訓示(?)する。しかし、子供は訓示に従おうとしても、母親のほうが子供に手を出したくなるようだ。

浴室では自由に風呂へ入り、輪になって背中の流しっこから体を洗う。その後は桶や湯水を使い、潜水ごっこやシャボン玉づくり、あるいはお風呂場ボウリングなどちょっとしたゲームをやるんだ。

銭湯の経験がある子はハナっから活発だが、そうでない子も出足のオドオドからすぐに喜々として動き出す。そして子供をサポートするお母さん方も汗を飛ばして、これまたキキとしちゃうんだな。

フィナーレは脱衣場にみんなが集まり、湯上がりの冷たいビール、じゃねえ、差し入れのジュースになるんだ。そこでアタシが「どうだッ、楽しかったかッ。みんなで入る銭湯はいいだろうッ」と精一杯リキむってぇ寸法さ。

銭湯が子供にとって成長するスポットでありたい――。アタシャいつもそう言っているし、今日もまたそう思い、そう言いたいな。

(※)原稿を掲載した2001年の情報です。2021年7月現在、東京都浴場組合全体としてはこのサービスは実施しておりませんので、ご注意ください。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2001年8月発行/51号に掲載


銭湯経営者の著作はこちら

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫