平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月×日
「おじちゃん、しばらく!」
「おう、元気か」
「うん、まあまあだな」
まあまあ、ときやがった。小学校3年生、チャメッ気の強い子で、まったく人見知りをしない。

この子が入浴後、アタシに聞くんだな。
「おじちゃん、お風呂ん中でオナラをしたらどうなるの?」
いたずらっぽい目つきである。
「オナラ?このヤロー、やったのかッ!」
「ううん、やんないよッ。ただ聞いてみたかった。だけだよッ!」
今度はムキになった表情。
「そうか、お前はもうガキじゃないんだから、そんな悪いことはしないよな」

で、アタシは浴槽のうんちくを話して聞かせる。
「お風呂のお湯はなあ、いつも循環してんだ」
「ジュンカンって?」
「ぐるぐる回ること。そしてな、回ったお湯は濾過機を通してきれいになるんだ」
「ロカキって?」
「お湯をきれいにして殺菌する機械さ」
「サッキンって?」
「(このヤローいい加減にしろッ) 殺菌っていうのはな、消毒してきれいにすることだ。そのぐらい知ってんだろッ。だからな、お風呂のお湯は少しぐらい汚れても、すぐきれいになっちゃうんだ。わかったか!」

はばかりながら、いま、銭湯の衛生水準は高い。保健所のお目付けのもと、循環濾過機、塩素滅菌器、活水器、有機物処理機などなどが導入され、浄化、殺菌装置は万全である。開店から閉店までの湯質はほとんど変わらない。

坊主、アタシの説明に「じゃあ、オナラをしても大丈夫なんだ。ああよかった」
このヤロー! とうとう白状しやがった。

〇月×日
脱衣場やフロントに花を置いてある。夕方、中年のダンナからご質問を受けた。
「変わった花だねえ。この花なんていう名前?」
「えっ、花の名前? さあ、ユリじゃないし……」
「ユリ? ユリならだれだってわかるよ。やだねえ、オヤジさん知らないのか」
「ええ、カミさんがやってるもんで……」

花を飾ってある浴場は数多い。中には花壇のように見事に飾っているところもあれば、自分で四季折々の花を作り、それをお客さんに鑑賞してもらう専門家はだしの仲間もいる。
そして、花に関心をお持ちのお客さんが、またことのほか多いのだ。今日のように、飾ってある花を話題になさることもしばしばである。

ところがアタシャ、花はからっきし駄目ときている。いえ、駄目ったって嫌いじゃないんです。花を見れば当然美しいと思うし、さりげなく咲く可憐な風情も好きなんです。ホントよ。
ただね、知識がまるでないんだな。タンポポとコスモスの見分けもようつかないんだから、カミさんに笑われるが、しょうがない。

1月松で2月が梅、3月桜で4月が藤、5月は菖蒲だ、そらッ、コイコイ!―― こっちの花がわかったって、これまたしょうがねえ。

とにかく、無粋ではいかんよね。せめて飾ってある花の名前ぐらいは覚えておかんとなあ。『どくだみの花が咲いていた。ハートのかたちをした葉の間から白い4枚の花弁と棒のように出た黄色の小花が綺麗だった』(週刊文春・伊集院静「二日酔い主義」から)
できれば、アタシもこんな調子でフロント日記をつけたいよ。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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1996年6月発行/20号に掲載


銭湯経営者の著作はこちら

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫