平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月×日
夕方、フロントで小学3年の坊主と遊んでいたら、年配のご婦人が遠慮がちにお見えになった。
「髪を洗いたいんですけど、髪洗いは?」
髪洗いねえ……。懐かしいことをおっしゃる。
「いえ、今はもう髪洗いはないんです。入浴料と一緒ですから、遠慮なく洗ってください」

最近越して来て、久しぶりの銭湯とか。どうぞごゆっくりの言葉を背に入浴なさったが、隣で目をくるくるして聞いていた3年坊主が言う。
「おじさん、カミアラウってなんのこと?」
「髪洗ウじゃない、髪洗イだ。それはなあ、頭を洗うと余計にお湯を使うだろ、だから昔はお風呂に入るお金と別にもらっていたんだ」
「フーン、そうなの。でもさァ、頭を洗わなくてもスッゴクお湯を使う人がいるけど、いくら使っても頭を洗わなけりゃ、そのカミ……なんとかっていうのを払わなくてもいいの?」
「……」
お母さんの胎内にいるときからの常連坊主だが、最近すっかり成長しやがった。

東京で「髪洗料」という受益者負担の別途料金が実施されていたのは昭和45年までである。そして、この洗髪料金が結構高かったのだ。ちなみに昭和18年は入浴料8銭に対して15銭、20年には20銭のフロ代で50銭と倍以上。しかし23年以降はその差が逆転し、廃止の前年44年は入浴料35円で洗髪5円だった。

なぜ洗髪料金を取るようになったかは定かでない。明治初期にお茶屋の女中さんたちが髪の乱れを直すために「くせ直し湯」をたくさん使うため一般の人より入浴料を高く取ることが行われ、その辺から余分にお湯を使う人は余分に代金をとなったという説も聞いたが、さてどうなんだろう。

現在も大阪など5府県に洗髪料は生きている(1998年当時)。

〇月×日
30過ぎの男性。まだ3回目ぐらいだが、初めて見えたときは腰を曲げて入ってきた。
「どうしたの? 腰が痛いの?」
「ハイ……」
「よく風呂で温めるといいですよ」
「ハイ……」
にこにこしているが何を言っても「ハイ」ばかり、寡黙な男だなというのが第一印象だった。

2回目に来たときも腰が痛そうだった。で、アタシャ風呂上がりにマッサージ機を勧めたんだ。腰痛に効く使い方を懇切丁寧にご指導さ。

ところが青年は相変わらずにこにこのハイだけなんだよな。「オイオイ、にこにこしてんのはいいけどさ、スイマセンとかなんとか言えるだろうに」。この男、上辺はいいが根は無愛想なんじゃないかと、アタシャ解せなくなっちゃったよ。

そして今日、久しぶりに青年が2人連れでやって来たんだ。腰も治った様子である。連れが石けんを求めた。タドタドしい日本語である。オンヤ?と思ったら、フロント前で2人が話し出した。なんと流ちょうな韓国語である(と理解したが)。

ウーン、そうだったのか。韓国の青年か。なーるほど。青年は、日本語がよくわかんねえんだ。コリヤ(こりゃあ)無口なはずだ。シャレにもなんねえけどアタシャ納得よ。それにしてもわが同胞に見えたよなあ。カミさんが「あんたより日本的ハンサムじゃないの」と抜かしやがった。アタシより上だなんて冗談にしても聞き捨てならねえが、日韓はホントよく似てんだよな。

しかし、しかしだ。そうなるとアタシが今までべらべらしゃべってきた流ちょうな(?)日本語はほとんど青年に通じていなかったことになる。

なんでえ、アタシャ一人芝居をしていたことになるんじゃねえか。あーあ国際親善は疲れらあ。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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1998年8月発行/33号に掲載


銭湯経営者の著作はこちら

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫