平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


暇な銭湯の活気づけを思案して、玄関の両側にクリーニング取次店と居酒屋を併設した。
女房いわく、“お酒は冷やで手っ取り早く、安くておいしいツマミを早く出す”のが成功の条件とのこと。近所の屠畜場で新鮮で安価なツマミを見つけ、お酒は黄金酒造に白羽の矢を立てた。

武州は丹沢連峰のふもとに七沢温泉があり、そこに黄金酒造がある。支配人にお酒の仕入れが可能か聞くと、「地元の酒屋には卸しているが、個々の飲食店に卸すと、古くからの取引先とトラブルが生じるので難しい。上司と相談するから時間をくれ」と言われた。ちょっぴり意気消沈したが、気を取り直してツマミの研究に時間を費やすことにする。

銭湯「大黒湯」もそこそこのにぎわいをみせ、頼んでおいた若衆も近く来るという。3歳の長女と2歳の長男も元気で安心だ。近くの農家から、出荷できない野菜が、少量でも毎日届くのがいい。

俺の味つけも爺(じ)っちゃんの仲間たちにほめられるようになってきた。結局、ツマミはトン関連と野菜だけに。味見の師匠たちも「これでいんだべー」と色よい返事。それにしても、よく飲んでくれたもんだ。

待ちに待ったお酒の結果は、“経営者を酒造会社の社員とし、店内の調度品一切を会社で模様替えして開業する”という条件つきでOKになった。店は造ってあっても調度品など何一つそろっていなかったので渡りに船といったところ。

翌日、一斗樽、酒名入りの升、徳利(とっくり)、猪口(ちょこ)、大小皿、のれんなどが運び込まれた。こちらで用意するものは、鍋類と人手だけだ。酒の銘柄が特にいい。“黄金酒造の盛升(さかります)”だ。繁盛しそうで勇気がわく。社名の入った法被(はっぴ)と前掛けを締めると酒屋さんの端くれに見える。

また風呂屋と居酒屋の二足の草鞋(わらじ)を履くことになった。開店のビラ張りから始まり、味の師匠たちを呼んでのリハーサルを繰り返す。ところが……。めでたく開店した店の屋号がまだなかった。

大方の人たちは長年温めた屋号・タイトルから入ってゆくが、俺はそんなことにはむとんちゃくで、内容からわき出た雰囲気で決めていくタイプだ。そのほうが気楽だし、楽しみもある。店頭には“黄金酒造盛升”。と染め抜いたのれんがぶら下がっている。
「これだ!! 盛升でいこう」

新鮮なツマミの材料は身近で調達。焼き方と盛りつけ、皿洗い、それに愛想が肝心だ。
メニューは、冷やの升酒100円、焼き鳥1本10円、トン刺し(レバ刺し)1皿5円、煮込み1皿3円、漬物30円に決定。仕事は早いに越したことはない。


【著者プロフィール】
笠原五夫(かさはら いつお) 昭和12(1937)年、新潟県生まれ。昭和27(1952)年、大田区「藤見湯」にて住み込みで働き始める。昭和41(1966)年、中野区「宝湯」(預かり浴場)の経営を経て、昭和48(1973)年新宿区上落合の「松の湯」を買い取り、オーナーとなる。平成11(1999)年、厚生大臣表彰受賞。平成28(2016)年逝去。著書に『東京銭湯三國志』『絵でみるニッポン銭湯文化』がある。なお、平成28年以降は長男が「松の湯」を引き継ぎ、現在も営業中である。

【DATA】松の湯(新宿区|落合駅)
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今回の記事は2000年6月発行/44号に掲載


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「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫

 

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)