「市ヶ谷」という地名は古くから使われており、室町中期(1457~1460年)頃を描いた古地図にも「市谷村」の名が見える。江戸期は江戸城に近いため、早くから武家屋敷や寺社が建ち並び町として開けた地域で、当時は「市谷」、明治以降は「市ヶ谷」と表記されるようになった。今も市谷鷹匠町、市谷長延寺町、市谷薬王寺町など歴史を感じさせる町名が数多く残る。そんな市ヶ谷の一角、市谷柳町にある「柳湯」を訪ねた。


『長禄年中江戸図』,写,[明治初期]. 国立国会図書館デジタルコレクション

●新選組で活躍した面々も行き来した歴史ある町

柳湯の裏手には「試衛館跡」がある。幕末ファンならご存知、近藤勇が道場主を努めた天然理心流の道場だ。門弟として土方歳三、沖田総司、井上源三郎、山南敬助、食客として永倉新八、原田左之助、藤堂平助といったメンバーがこの道場で切磋琢磨して腕を磨いたとされる。位置的には柳湯の真裏にあたるのだが、少々わかりづらいかもしれない。マンションの側道を下った先に稲荷神社があり、その脇に試衛館があったことを示す碑がひっそりと建っている。当時をしのばせるものは何もないのだが、この場所を後に新選組で活躍する面々が行き来していたのかと思うと、なかなか感慨深い。


柳湯の裏にある稲荷神社


ひっそりと「試衛館」跡の碑が建つ

柳湯は外苑東通りの一本裏手に位置するが、都営大江戸線「牛込柳町」駅の南東口から徒歩30秒という便利な場所にある。たぶん東京では駅から一番近い銭湯ではないだろうか。飲食店がポツポツと並ぶ通りにあるビルに、ひときわ目立つ緑色の看板が浴客を誘う。玄関脇の「電気風呂」のノボリはなかなか珍しい。


イメージカラーの緑の看板が目を引く


牛込柳町駅構内の地図にも柳湯が表示されている

柳湯は2022年にリニューアルしたばかりで、どこも真新しい。現在はオーナーの飛松寿美(ひさみ)さんと、親戚の堅田尊(たかし)さんが運営している。そもそも飛松さんのお父さんはかつて都内に4軒の銭湯を持っていたやり手の経営者だった。柳湯は長年、賃貸物件として人に貸していたが、営業していた人が2021年に辞めてしまい、飛松さんは「廃業もやむなし」と考えていたという。そこへ親戚の堅田さんが「銭湯をやってみたい」と継続を申し出た。飛松さんも堅田さんも銭湯を営む家に生まれたが、これまで銭湯の仕事に直接関わってこなかったこともあり、飛松さんは逡巡した。しかし堅田さんの熱意に押され、最終的には継続を決意したという。

 

●グリーンを基調色とした浴室で森林浴気分

筆者が柳湯を訪れたのは猛暑が続いていた7月末。大勢の常連さんたちが店の前の日陰で開店を今か今かと待ちわびている。14時半にシャッターが空くと同時に常連さんたちが一勢に店内へ吸い込まれていった。

リニューアルにあたっては、常連さんが戸惑わないように浴槽やカランの配置は変えず、屋号の「柳」から店全体の基調色をグリーンで統一。浴槽やカランのタイル、「座風呂」「ハイパージェット」「寝風呂」といった浴槽の掲示板もグリーンで、浴室全体が落ち着いた雰囲気となっている。

浴室では正面にクロアチアの世界自然遺産・プリトヴィッツェ湖群国立公園の壁絵が目に飛び込んでくる。流れ出している滝の流れが涼しげで、森林浴気分が楽しめるのがうれしい。よく見てみれば、壁絵の滝壺の色と湯船のタイルが同じグリーンだ。まるで壁絵の滝壺と湯船がつながっているような錯覚におちいる。


森林浴気分が楽しめる壁絵


浴槽の中も外もグリーン系のタイルで統一

浴槽は大小2つあり、大きなほうの浴槽は肩までしっかりつかれる深いバイブラエリアと寝風呂のエリアに分かれている。お湯は熱めで、銭湯ならではの満足感が味わえる。


お湯の浴槽は大小2つ


清掃の行き届いた浴室はどこもピカピカ!

●背中から腰までもみほぐす特大の電気風呂

大きな浴槽の隣には、一人用の座風呂とハイパージェットが並ぶ。座風呂の電気風呂はちょっとめずらしい造りだ。通常は細長い板の電極板が浴槽の両端に設置されてその間を電流が流れているのだが、柳湯の電気風呂は電極板が背中側一面にセットされ、腰から肩甲骨のあたりまでカバーするほど大きいのだ。電流は3種類のパターンを繰り返し、しっかりともみほぐしてくれる。なるほど、店頭に「電気風呂」ののぼりをかかげて、アピールしたくなる気持ちもよくわかる。その効果は抜群だ。


広い電極板の電気風呂がコリに効く!

しっかり温まった後は水風呂へ。水温計は24℃を示しているが、それよりも冷たく感じる。ふと見上げてみると、ブルーのスポットライトが水風呂を照らしていた。涼し気な演出に店側の心遣いを感じる。


ブルーのライトに照らされ涼しげな水風呂

筆者が温かいお風呂と水風呂を行き来していると、込み合っていた浴室が次第にすき始めていた。どうやらさっとつかって帰っていく常連さんが多いようだ。「うちはお湯が熱めなんで、長くつかっていられないんですよ」と堅田さんは笑う。

入れ替わるように若い人が次々と入ってくる。「リニューアルしてからは若いお客さんが増えていますね。このあたり(牛込柳町駅近辺)は、昔はどこの駅からも遠く、陸の孤島といわれていたんですが、大江戸線が通ってからは便利になって人気がある場所になりました」と飛松さん。サウナブームの中、サウナがなくとも若いお客さんが増えているというのは心強い話だ。ちなみに柳湯のX(旧Twitter)のアカウント@yanagiyu25の更新は飛松さんの担当。営業の告知や時候の挨拶にとどまらず、日々の雑感や昭和の思い出話などのつぶやきも味わい深いと評判だ。

さて、お客さんが入れ替わるのを眺めつつ、あつ湯好きの筆者はじっくり湯につかっているうちに、先ほど訪ねた試衛館跡が頭に浮かんだ。江戸の庶民にとって銭湯通いは暮らしの一部であり、きっと試衛館の面々も稽古を終えれば汗を流しに銭湯へ足を運んだことだろう。江戸っ子のあつ湯好きは有名で、彼らも飛び上がるようなあつ湯に身を沈めては疲れを癒やしたに違いない。

あつ湯でほてった体を水風呂にしずめると、ほどよい冷たさが心身を引き締めてくれる。そういえば、江戸の銭湯には水風呂がなかった。温冷の浴槽を行き来するのは、江戸時代には考えられなかったぜいたくな入浴だ。そう思いながら温冷交代浴を繰り返していると、あっという間に時が過ぎていった。
(写真・文:編集部)


【DATA】
柳湯(新宿区|牛込柳町駅)
●銭湯お遍路番号:新宿区 25番
●住所:新宿区市谷柳町25(銭湯マップはこちら
●TEL:03-6265-0260
●営業時間:14時半~23時
●定休日:月曜、第2・4金曜
●交通:都営大江戸線「牛込柳町」駅下車、南東口より徒歩30秒
●ホームページ:http://1010yuge-g.jp/
X(旧Twitter):@yanagiyu25

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脱衣場でも浴室の壁絵と同じ風景が見られる


飛松寿美さんと堅田尊さんが店の隅々まで気を配っているので居心地のよさは抜群


頻繁に見回って掃除をしているのでいつも整っている脱衣場


「柳」をイメージさせるロビーの壁