平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月✕日

70過ぎの常連ダンナ。ちょっと見えないなと思っていたが、今日は足を引きずってお出でになった。
「いやあ、ヒザが痛くなっちゃってねえ。 この間、朝起きたら布団から出られないんだ。やっと動けるようになったけど、医者は酒を控えろっていうし、参ったよ」

明るい方で、まずは近況報告。そして続けなさる。
「前にも痛くなったんだけど、風呂のなんっていうの、ピューッと出てるやつ? 超音波気泡っていうのか。 あれに当たると調子がいいんだけど、なんせ歩けないから来られないんだ。もうダメだねえ。体じゅうガタガタよ。この分じゃ長いことはないねえ」
「何をおっしゃる、まだまだ若いし現役でしょ?」
「現役? いやあもうダメ。酒もダメだし、あっちもダメ。 よく言うじゃない。上は息するだけ、下はションベンするだけ……」

オッホッー。アタシャ、 自営業の方なんで、まだご隠居さんじゃないんでしょと言ったつもりなんだが、お客さん何やら現役の意味を勘違いなさったご様子だ。

そこでアタシャちょいと悪のりしちゃった。
「ダンナが今ヒザの痛みに効くっていった超音波気泡ね、あれ、ヒザとか足腰にはもちろん効果があるんだけど、も一つ、精力増強にもってこいなんですよ」
「えっ、 セイリョクゾウキョウ?」
「そう、以前『1010』に書いてあったんだけど、なんでも背中に『腎愈(じんゆ)』っていうツボがあって、そこへ超音波水流を当てるとホルモン分泌がうながされて気力が充実してくるんですってよ」
「なんだい、そのホルモンベンピってやつは?」
「ベンピ? やだねえお客さん、べんぴ(便秘)じゃなくてホルモンのブンピッ! えっ、だからそれがなんだって? ウン、つまりねえ、風呂ン中で超音波水流を腎愈に当てると、その刺激で体中にホルモンが湧いてきて、女性は若々しくなるし、男性はもう間違いなく現役復帰……」
「ほんとか、オイッ!」
「ほんとよ、アタシが言ってんじゃなく 『1010』に大学の先生がちゃんと書いてんだから」
「そっか。 それでジンユってえツボは背中のどこにあんだ?」
お客さん、気合が入ってきた。
「え〜とね、一番下の肋骨と同じ高さの脊髄の両側のところって書いてあったなあ」
「そうすっとこの辺か。 腰の少し上だな。よしっ、 一丁やってみるか」

モシモシお客さん、 ジンユもいいけど、ヒザの痛みはどうなりましたーー。

 

〇月×日

お客さんに婦人科の先生がいらっしゃる。 銭湯めぐりがお好きなようで、ときどき奥さんとご一緒にお見えになってくれるんだ。

7時半、奥さんより一足早く上がってきた先生。 フロント前のいすに座り、奥さんを待つ間、アタシと雑談を始めた。

そこへ中年の女性が脱衣場から出てきた。その女性、 先生を見るなり「アラッ!」と驚いたような表情で挨拶をなさった。 おそらく先生の患者さんなんであろう。

で、先生も如才なく挨拶を返されていたが、その女性が帰られた後、 先生、アタシに向かいニヤッとしておっしゃったよ。
「いきなりこんなところで顔を見たって誰が誰だかわからん。 見るとこ見なきゃわからんよ」

ウッフッ、 ごもっとも――。アタシャ吹き出しちゃった。 酒脱な先生である。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 
昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2005年8月発行/75号に掲載


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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫


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