平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月×日
家族連れがお見えになった。70近い奥さんに4歳ほどの男の子を連れた若いご夫婦で、アタシには一見(いちげん)のお客さんである。

フロントで奥さんが一緒に来たご夫婦を指差しておっしゃった。
「うちのセガレなんだけど、お宅のお孫さんと同級生なの……」

エッ、お孫さん? アタシャ目えパチクリよ。だってね、うちの孫はまだ7歳の娘だよ。対してセガレさんはどう見ても30半ばである。7つに30代の同級生がいるわけがない。ウーンどうなってんだ。

「孫ですかあ。うちの孫はまだ小学校2年ですから、奥さんの言う同級生はアタシの子供でしょ?」
「アラ、アラッ、そうなの……。あたしね、お宅の奥さんと町会の婦人部でよくご一緒したのよ」
アタシをジジイに見て、間違ったらサッとカミさんの話に切り替えた。回転の早い方である。そして何事もなかったように脱衣場へお入りになったんだが、しかしねえ、話を切り替えられたからってこちとらガックリよ。30過ぎの男がアタシの孫だもんなあ。そうなりゃアタシは幾つになんの? もう90って勘定になるぜ。そんなに老けてんのかねえ。ああ、ヤダ、ヤダ、ヤダねったらヤダ。お客さんじゃなけりゃ怒っちゃうぜ。

そこでアタシャ考えたんだ。いくらなんでも60代にして30の孫を持つことは有り得ない。ということはお客さん、アタシを20年前に亡くなった父親と間違ったんだ。

亡父は元気なとき番台を欠かさなかったから、久しぶりに見えたお客さんはそんな父親がまだ健在だと錯覚したんだ、ウン、サッカクだ。で、ためらわず「お孫さん……」と口走ったんだと思うよ。

エッ、そうじゃない、アンタが老けてんだって? オイコラッ、ホントに怒っちゃうぞッ!

〇月×日
7時。おや、めずらしい。金曜日の敬老入浴デー以外はついぞ見えたことがないご老体がお出でになった。アタシャてっきり金曜日(無料)とお間違えになったのかと思ったんだがフロントで開口一番「たまにはお金を払って入らなくっちゃね」とおっしゃった。そう、そりゃあありがたいですなあ。

余計なことだがこの方ね、お鼻がトナカイみたいに赤いからかなりの左党なんでしょうな。今日も近所の居酒屋で一杯やった後、急に銭湯へ入りたくなったという。

そんなことでご老体、にこにこと赤い鼻を光らせながらカウンターへ100円玉を一つボトンと置かれた。そして、おつりを待つご様子である。入浴料は400円、100円ではとても足らない。しかし100円でおつりを待つスタイルは時々あるんだ。つまり100円玉を500円玉と勘違いして出されるんである。500円なら釣り銭を待ってもおかしくない。いや待たないほうがおかしい。で、アタシャ当然お間違いになったものと思い「あの~、これ100円玉なんですが」と申し上げた。フツーの筋書きならここで「あっ、間違っちゃった」のセリフが入る。

ところが赤鼻さんは筋書き通りにいかなかった。間違ったんではないんである。だからセリフも台本にないものだった。
「あっ、いけない。お風呂は今、エート400円か。ウーン、どうもこの頃、金銭感覚がねえ……」

ウ~ン、今度はアタシがうなっちゃった。銭湯は無料の敬老入浴しか知らないからって今日ビ、100円玉一つでおつりがねえ……。

ちなみに入浴料が100円だったのは昭和50年である。今から29年前、四半世紀以上の昔になる。

そう、赤鼻のトナカイさんは浦島太郎でもあったんだ。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
銭湯マップはこちら




銭湯経営者の著作はこちら

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫


銭湯PR誌『1010』の最新号は都内の銭湯、東京都の美術館、都営地下鉄の一部の駅などで配布中です! 詳細はこちらをご覧ください。

154号(2022年12月発行)

 

153号(2022年9月発行)

 

152号(2022年6月発行)