平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月×日
風が強い日だ。夕方、ボケーッとフロントで本を眺めていたところへ入ってきた中年のダンナ。アタシの本をのぞきこみながらいう。

「なんでえ、字ばっかりじゃねえか。もっといい本かと思ったよ」

いい本ねえ――ダンナ、フロントは聖なる職場でっせ。ダンナの二タッとするような本を広げちゃあいられないんですわ。

実は昨日、中学1年の女の子に「菖蒲湯」について質問を受けたのだ。そのときは持ち合わせの浅薄な知識でお茶を濁したが、念のためにと「風呂の本」をパラパラやっていたのである。

――菖蒲湯といえば端午の節句に入るものと思われているが、昔は保健医療の薬湯として季節に関係なく沸かしたものである。それが端午に菖蒲湯となったのは「ショウブ」が士道の「尚武」に通ずるところから、足利から江戸時代の武家に喜ばれ、この風習が庶民にまで及んで今日に至っている――また、菖蒲は強い匂いがあるため「邪気を払い悪病にかからぬ」とも書いてあったな。

菖蒲湯の由来はざっとこんなもんだけど、ついでにいわせてもらえば、銭湯の菖蒲湯は江戸の昔から浴場の風物詩としてずーっと続いていたんだが、昭和35年前後に循環濾過器などが導入され、一時廃止されたんだ。何しろそれまでは浴槽に菖蒲をばらまいていたから「銭湯を沼になしたるアヤメかな 其角」で、お客さんは葉っぱの中から顔を出しているような入浴風景だったよ。

それが昭和55年に需要喚起策として「伝統あるよき風習の復活」となり、現在のようなスタイルで実施されているってわけ。

ま、菖蒲湯についてはこのくらいでよかろう。さーて、昨日の女の子、早く来ないかなあ。

〇月×日
「あのー、うちの主人入っているでしょうか」

5時のフロント、時折見える中年のご婦人がダンナさんをお迎えに見えた。急用ができたらしい。ハテナ? こちらの奥さんのご主人は……。

「○○といいますが……。茶のトレーナーで……」

ハテナ? 〇〇さんとは……。

まあいいや。そこで呼び出しをかける。脱衣場をのぞき「○○さあん!」。――いない。浴室に向かって「〇〇さあん……さあん」とやる。

フロントは、お客さんと2~3度お会いすればお顔はほぼ覚えられる。ところが、名前となるといちいちお聞きするわけにもいかないもんで意外と知り得ないんですな。

「いらっしゃいませ、はいお釣りです。ありがとうございます。ところでお客さんのお名前は?」
これでは野暮ったいお巡りさんの職務質問だよ。で、名前と顔がなかなか一致しない。

それとご夫婦もそう。ご一緒に見えれば「おや、美人の奥さんに渋いダンナ……」とおわかり申すのだが、いつも別々では今日のようにハテナ? となり、呼び出してみて初めて納得するありさまで、客商売として誠に失礼してしまう。なんとか手早く覚えられる方法はないものか。

せんだって、知り合いの青年を連れて飲みに行ったんだな。そしたら、店の女の子がその青年に聞くんだ。「あーらすてきな方、お名前教えて……」アタシを差し置いてなんとも面白くないが、この手法ならお客さんの名前はすぐ覚えられる。

しかしねえ、ゴッツイ風呂屋の親父がフロントで「きれいな奥さんですねえ、お名前教えてください」とやったら、もう二度と来ねえだろうな。ムズカシイよ――。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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1996年4月発行/19号に掲載


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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫