平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月×日
アタシャ80半ばと踏んでいたんだが――。毎週敬老入浴日になるとお見えになるおばあさん。
「今、K町へ行ってきたんだけど、そこでお風呂の道具を忘れて、そのままバスに乗って帰って来ちゃったの。だからタオルとせっけんをください」
「おばあちゃん、1人でバスに乗るんですか?」
「そうよ。出掛けるときはいつもバス。でもねえ、このごろ物忘れが多くなってダメなの」
ウームこのごろねえ・・・・・・。アタシャおばあちゃんと親子ほども違うんだけど、このごろどころかもうだいぶ前から忘れっぽくてしょうがねえんだよな。

おばあちゃんはいつも大きなバッグをぶら下げ少し猫背の小柄な体をシャキッとしてお見えになる。目も耳もさして不自由がなさそうだし、小銭入れからタオル代を支払う動作も老いたそれではない。80半ばでこの元気。ちょっとお聞きした。
「おばあちゃんはいくつになるんですか?」
「あたし? 明治8年生まれで95歳なの」

ウッホッ、アタシのヨミと10年も違うじゃねえか。驚いた、正直うなっちゃったよ。95歳ねえ。それでこんなにシャキッとして・・・・・・。スゴイッ!

銭湯へお出でになる方は高齢でも総じてお元気である。年を感じさせない方が多い。しかし、それにしても95歳はおそらく当店の最高齢者じゃないかな。いや、1400軒ある都内の銭湯でもトップクラスだろう。ウーン、立派なもんだ。
「95ですかあ。それでだれかと一緒に?」
「いいえ、あたし1人なの、独り住まい。だからみーんな自分でやんなきゃなんないの」

ウーン、またうなっちゃった。95で食事を作って、バスで用足しをして、銭湯にも入って・・・・・・。アタシャもう尊敬の念フツフツよ――。

〇月×日
9時、通常ならカミさんの時間帯なのだが、用足しで外出中のため、アタシがフロントにいた。そこへ入ってきた中年のご常連奥さん、
「あらっ、珍しいわね、今日はどうしたの」
「ええ、カミさんに逃げられちゃって・・・・・・」
「ホッホ、そうなの。少し反省するといいわ」
と言ってニコッとなさった。

現在の風呂屋は夫婦もしくは親子という家族での営業がほとんどである。したがって、フロント(番台)での勤務時間帯も明確に決まっている。つまり勤務協定が結ばれているのである。夫婦での営業ならさしずめ二国間協定というところだ。

協定も大別すると1交代制と2交代制の2種類だが、アタシんとこみたいにスタートがカミさんで中間がアタシ、終盤がまたカミさんという煙管(きせる)みたいなローテーションもある。

そして、この協定は不可侵協定でもあり、協定外の行動を取るときは大義名分が必要で、違反にならないようキチンと手続きを踏む。つまりカミさんの了解を取って行動しなければならない。勤務時間中に仲間が来たからちょっと表へ・・・・・・なんて、とても許されないことになっている。

しかしねえ、フロ屋のオヤジは外務大臣も兼ねているもんで、対外折衝が多いんですわ。やれ組合の会合だ、役員会だ、なんとかの打ち合わせだ、スベッタコロンダってねえ。そしてその都度赤くなっちゃってねえ。赤くなると糸の切れたタコになっちゃってねえ。

オヤジとカミさんの時間帯は、常連さんなら十分心得ていらっしゃる。心得ていらっしゃるから、オヤジの協定違反が多いのもまたご存じのようである。だから「反省しなさい」と――。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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1998年6月発行/32号に掲載


銭湯経営者の著作はこちら

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫