平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


男の子が3人、ドヤドヤッと入ってきた。見慣れない子供達である。
「お前たち兄弟か?」
「ウン。3年と1年でこいつが幼稚園」

そこへ一見さんらしい70過ぎの人が入ってきた。子供達のオジイチャンのようだ。
「孫が埼玉から遊びにきたので連れてきたんです。銭湯を知らないので、少し教えてやろうと思ってね」
ホホウ、少し教えてやろう、ですか――。

「そりゃあそりゃあ。まあゆっくり入って楽しんでください」
となったんだが、いやあ、この孫達の賑やかなこと、そして忙しいことったらない。

「さっ入ろう!」と勇んで脱衣場へ向かったんだが、フロントへ下駄箱の札を放りっぱなしでいっちゃった。アタシャ脱衣場で訓示? よ。
「札はきちんとしまっておくんだ。なくすと帰りは裸足だぞ。それとロッカーのカギはちゃんと手や足に巻きつけてなッ」

ということが、とりあえずの第1段。 続いては第2段になる。

小半時も経ったかな。フロントの小窓をトントントンと叩いた坊主ども、
「お風呂へ入ってたら洋服を入れた箱のカギがなくなっちゃったの」
「ロッカーのカギ? 風呂ん中で? よく探してみろ、カギがないと帰りは裸だぞッ」
とはいったもののそうもいかない。で、浴室から浴槽へと探索だ。

浴槽は、ろ過機、気泡、超音波などが作動しているからそれらの装置を停止しなけりゃ探しようがない。仕方がない、ほかのお客さんに断って機械を一時ストップさ。

「よく探しなっ」
子供たちは真剣に浴槽を探している。そして、「あったあ……」と喜色をあげたんだが、その間オジイチャン、薬湯に入っていてただニコニコと眺めている。アタシの顔を見てもニコニコだ。それだけである。

そして、第3段へと続くことになる。

カギが見つかってまた小半時。軍団が上がってきた。脱衣場が賑やかになったんで、アタシャちょっと覗いてみた。坊主ども体重計にハンドマッサージ、フットマッサージをそれぞれいじくり回している。初めての銭湯が楽しいんだろうなあ。しかし、野放図はよくない。アタシャまたまた脱衣場へ出向いて言う。
「マッサージ機は疲れた大人が使うんだ。子供はそんなものは必要ないのッ」
オジイチャン、この時も黙ってニコニコである。

さて、いよいよ子供たちが帰る。
「どうだ、楽しかったか?」
「ウン、とってもよかった」
オジイチャンもニコニコと軽く会釈をして出て行かれた……となりゃあこれで一応のピリオドが打たれるハズなんだが、ところが第3段の一節が待っていたんだ。

一番上の3年坊主が玄関から脱衣場へアタフタと戻っていく。
「どうした?」
「ウン、靴の札がないの……」

しょうがねえなあ。またまた探索だ。子供達の洋服のポケットから湯道具の中、そして脱衣場を一通り探したけど見当らない。もう1回しょうがないとなるが、合鍵で下駄箱を開け「もし出てきたら持ってきてよね」とオジイチャンに一言。オジイチャン、この時初めてニコニコが消え「すみませんでしたねぇ」と口を開いた。そし子供達にも「さ、みんなもちゃんと挨拶をしなさい」

うん、やっとオジイチャンらしくなったねえ。久しぶり遊びに来た孫に小言なんか言えないんでしょうなあ。しかしねえ、世間のしきたりを教えんのも愛情でありシツケなんじゃないかなあ。もっとも今日ビは、親も叱らないのに、ウルサク言って嫌われちゃったら困ります、 かな――。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 
昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2009年12月発行/101号に掲載


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