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 まさに「昭和」な佇まいの稲荷湯(北区)。銭湯ファンの間では以前から知られていましたが、2012年に公開された映画『テルマエ・ロマエ』のロケ地に使われたことで、一躍その名を一般の人々にも知られるようになりました。昭和5年に建てられたという一見すると寺のようにも見える宮造り銭湯は、年季を感じるものの、どこもピカピカに手入れされて清潔そのもの。昔ながらの佇まいを大事に残しつつ、時代のニーズを取り入れて営業を続ける老舗銭湯の女将、土本紀子さんに話を伺いました。

■店の看板は、映画『テルマエ・ロマエ』の記念品

 映画の『テルマエ・ロマエ』では、俳優の阿部寛さんが古代ローマの風呂から現代日本の銭湯へタイムスリップするシーンで使われました。そもそも、うちがロケ地に選ばれたのは、作者のヤマザキマリさんが小さい頃におばあちゃんと行った銭湯のイメージに近い店を探していたからだそうです。

 映画のプロデューサーは、東京中の古い銭湯を全部入ったって言ってましたね。最初に見に来てから決まるまで、4ヵ月ぐらいかかったんじゃないかな。

 撮影は定休日に2回来たの。朝6時から夜11時まで。撮影を見てたら俳優さんてすごいもんだなって、つくづく思ったわ。阿部さんがお湯の中から登場するシーンなんて映画で見たら一瞬だけど、撮影では何回も繰り返してたし、牛乳飲むシーンだって何本も飲んでましたよ。それまで「役者って気楽な商売でいいな」なんて思ってたけど、とんでもない。いい勉強になりました(笑)。

 玄関の上にかかっている「稲荷湯」って屋号が入った木の看板は、古く見えるんだけど映画の撮影用に作られたものなんです。撮影が終わって看板を外しているときに、うちの屋号が入っている看板が捨てられたらやだなと思って、試しにスタッフの人に「もらえませんか」って聞いてみたら「いいですよ」って。それで、美術の人がしっかり付けてくれたんです。建物の雰囲気に合ってるでしょ? みなさん昔からあると思ってくださるけど、実は映画の記念品なんです(笑)。

 映画の効果はありましたよ。今でこそブームは去りましたけど、北海道から沖縄まで、全国からお客さんが足を運んでくれました。東京に来たついでに寄ってくれるんです。うちみたいな昔ながらの建物の銭湯も少なくなりましたからね。

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■昭和5年築の建物を残そうと頑張る

 この場所で商売を始めたのは、大正の初めだそうです。その前も別の場所で銭湯を営んでいたそうですが、あまり古いことはわかりません。この建物は昭和5年に建ったものだから築90年近いですね。この周辺は空襲に遭ってるんですが、うちは幸い焼けずに済みました。

 うちなんか、ほんとに古いだけで何がいいのかな、なんて思うこともありますけどね。以前、東大の建築の先生に「同じものはもう作れないから、この建物は大切にしたほうがいいですよ」って言われたことがあるんです。築70年ぐらいのとき。そのとき「まだまだ持ちますよ」って言われたので、それで「よし、この建物を守ろう」って意を強くして頑張ってるんです。

 でも、木造の銭湯だから、何代も付き合いのある職人さんが廃業したりして、直せる人がいなくなったのが大きな問題ですね。古いからしょっちゅう直さなきゃいけないし、手入れは本当に大変です。

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■昔、休みは元旦だけだった!

 私が嫁いできたのは昭和36年だから、お風呂の仕事はもう50年以上になりますね。来た頃は女中さんや番頭さんがたくさんいて、大家族みたいで楽しかったですよ。お風呂屋さんの仕事を知らずに来たんですけど、夫もその両親も思いやりがある人達で、丁寧に仕事を教えてくれたのがうれしかったですね。だから今まで続けてこれたんですよ。

 お嫁に来たときの入浴料金は17円で、翌年19円に上がったのを覚えてます。今の値段(460円)を聞いたら昔の人はびっくりするでしょうね(笑)。今じゃ考えられませんけど、昭和30年代には料金を値上げするために、お風呂屋さんが街中をデモ行進したこともあったんですよ。

 お風呂屋の仕事はこの50年でだいぶ変わりました。昔は大きなたわしを両手に持って浴室の床を磨いていたんですが、今はポリッシャーという機械でやりますし。燃料も一昨年改装したときに、手間のかかる薪からガスに変えました。

 お風呂屋は営業時間以外にも仕事がいろいろあるんです。夜中の1時15分にお店が終わるとすぐに浴室の仕舞い掃除を始めるでしょ。翌日だと汚れが落ちなくなるから。だいたい1時間半ぐらいかかるのかな。夏なんか終わる頃には空が明るくなってますね。それから寝て起きるのが昼の12時。普通の人と生活時間が6時間ずれてる感じですけど、それでペースができてるから大変ということはありませんね。

 今は毎週水曜日が休みですけど、昔は月2回しか休みがありませんでした。でも祖母の時代は元旦しか休みがなかったんですって。年に1度しか休みがないなんて、今じゃ考えられませんよね。でも、明治大正の頃はそうだったんですって。

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■伝統の熱湯は残して、ぬる湯も設置

 うちは昔から熱いお湯が売りで、熱湯の湯船は47℃です。昔は48℃でしたけど。なんでそんなに熱いのかって? 昔はお湯をきれいにする濾過機がなかったでしょ。だから、お客さんが水でうめてあふれさせることで、お湯を清潔に保とうとしたんじゃないんですかね。ぬるかったら水でうめないでしょ。それで、熱くする必要があったと思うんです。

 今は濾過機があるからそんなに熱くする必要はないんだけど、常連さんはみんな熱いのに慣れてますからね。下げられない(笑)

 でも、最近は熱すぎるお湯は体によくないっていうでしょ。だから、一昨年改装したときにぬる湯の浴槽も設けました。前はお湯が熱いから子供のお客さんは少なかったんですけど、ぬる湯ができてからは家族連れのお客さんも増えましたから、よかったですね。

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■銭湯は癒しの商売。掃除の手は抜けない

 銭湯は清潔さとお湯しか売るものがないんですよ。サービスですからお湯を持って帰ってください、って訳にはいかないでしょ。

 だから掃除は徹底していますね。「一度手を抜くと癖になるから駄目だよ」って主人は言ってます。

 うちは昔から木の桶にこだわってるんです。プラスティックの桶のほうが手入れは楽なんですよ。木の桶は一つずつ毎日専用の機械で洗わないとぬめるし、タガの輝きもくすんじゃう。手入れは大変ですけど、浴室にコーンて響く木の音はいいもんですよ。

 その木の桶は、毎年正月の朝湯で、お客さんへのお年賀として新しいものに取り替えるんですけど、夫は毎年大晦日に1年間使った桶を洗って積み上げて「ご苦労さん、ありがとうな」って、桶にお礼をいうんですよ。桶をちょんちょんと叩いてね。あれは感心しますよ。稲荷湯が昔のままの姿で商売ができているのも、主人が持つ感謝の気持ちやモノを大切に扱う、そういう姿勢と関係あるんでしょうね。

 うちみたいに戦前に建った、東京ならではの宮造り銭湯もだいぶ少なくなりました。お客さんには木の温もりを感じながら、気持ちよくお風呂につかってもらえたらうれしいですね。

(写真:望月ロウ 文:タナカユウジ)

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【プロフィール】
土本紀子さん 北区滝野川で営業する稲荷湯の女将。昭和を感じさせるレトロな風情が注目され、映画「テルマエ・ロマエ」をはじめ、雑誌やテレビなどでも度々紹介されている。


【取材地DATA】
稲荷湯(北区|西巣鴨駅)
●銭湯お遍路番号:北区29番
●住所:北区滝野川6-27-14
●TEL:03-3916-0523
●営業時間:14時50分〜25時15分
●定休日:水曜
●交通:都営三田線「西巣鴨」駅下車、徒歩6分/埼京線「板橋」駅下車、徒歩6分
●Facebook:https://www.facebook.com/inariyu.takinogawa
●Twitter:https://twitter.com/inariyu_t
銭湯マップはこちら

 

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伝統の熱湯に加え、ぬる湯も設置

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浴室に木の桶の音が心地よく響く

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木の温もりを感じる脱衣場