平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


「こう寒くなると、われわれの店も少しはにぎやかになるな。内風呂だと湯上がりに裸じゃ5分といられないもん。その点、風呂屋の湯なら、湯冷めなんてしないからね」

「そりゃ、やっぱり風呂屋の湯は練れてるし、湯量が物を言うし、薬湯だしね」

「しかしなんだね。番台から時代というか世相を見てると、変わったね」

「ホント。昔はさ、タオル一本にせっけん箱くくり付けて来てくれたもんだ。カミソリなんか番台で用立てればよかったし、替え刃のカミソリなんか持って来るのはオシャレだった。それが昨今じゃ、男のくせに大きな洗面器に湯道具いっぱい入れて来るんだもんな。それもスーパーのモノだ。風呂屋のは優れモノばかりなのにわかんないよなあ」

「おかげで、鏡ンとこのせっけん台の幅が10cmだったのが、今じゃ倍の20cm以上はないと洗面器が乗らないんだよね」

「銭湯ってさ、たいてい熱湯好きのおじさんがいて、水で埋めようとすると、こんなぬるいのに埋めちゃだめ。男の子なんだから我慢して入れ!」なんて怒鳴るんだよな。『騒ぐんじゃない!』って自分の子供でもないのにしかったりもする。小言じゃなくて一つのしつけだよね。最近じゃ、自分の子供なのにしからないで、『番台のおじさんが見てるからやめなさい!』って、こうだもんね」

「そういう意味では、銭湯って町内における子供のしつけの場であり常識の教室だよね」
「銭湯へ来ると、子供の成長がわかるんだよ。近所の子供と裸で比べると、『うちの子は成長が良好』とか思うし。男の持ちモンを他人と見比べるってのも男にとっちゃ成長していく過程で必要なんだよな。鏡の仕切り越しにさ、ぶら下がってるのが見えるんだ。鏡が衝立になって相手の顔が見えないってとこがいいんだよな。じっくり観察できるっていうか、それで男は自信をつける」「中には思わず、『参りました!』って頭下げたくなるような立派な持ちモンの人もいるからね。ハハハ、神様もいいことするよ」

キザなおじさんが言ってた。

「明るいうちの銭湯はこの世の天国。開いたばかりの昼間の3時。高い天窓からパーッと日の光が入ってきて、それが湯気の中に光線をつくったりしたら、もうそれはほとんど神様の場所。わき続ける湯は清らかなイメージ。そこに裸で入っていくんだ」

この人、銭湯の回し者じゃないですよ。


【著者プロフィール】
笠原五夫(かさはら いつお) 昭和12(1937)年、新潟県生まれ。昭和27(1952)年、大田区「藤見湯」にて住み込みで働き始める。昭和41(1966)年、中野区「宝湯」(預かり浴場)の経営を経て、昭和48(1973)年新宿区上落合の「松の湯」を買い取り、オーナーとなる。平成11(1999)年、厚生大臣表彰受賞。平成28(2016)年逝去。著書に『東京銭湯三國志』『絵でみるニッポン銭湯文化』がある。なお、平成28年以降は長男が「松の湯」を引き継ぎ、現在も営業中である。

【DATA】松の湯(新宿区|落合駅)
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今回の記事は1998年2月発行/30号に掲載


■銭湯経営者の著作はこちら

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫

 

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)