平成5(1994)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


組合やグループの親ぼく会で「後継者の育て方」が話題になっている。

営業上、最も必要な燃料の確保、仕事の段取り、接客、湯や水漏れの確認、電気などの小まめな扱い方、それに、無駄な出費などについて、経験をもとにコンコンと息子に諭すのだが、「また、おやじの自慢話が始まった」と、小言でも聞かされているかのようなそぶりでまるで要を得ない。しかし、他人から同じ話を聞かされると納得するようで、ときには「おやじを見直したりもする」と言うのだ。私も、何回かよその後継者に似たような話をしたが、最後に「あんたのおやじさんはよく働いたなあ。同業者の信頼もあったし。そういうおやじさんを持ったあんたは幸せ者だよ」と言ってやると、皆納得したような顔をする。「後継者一丁上がり」というわけだ。

しかし、話だけでは理解できないものもある。燃料集めの主役の大八車、カンナくずの加工箱、湯もみ板に桶洗い機などはすでに存在しない。だから、その作業方法も見当がつかないのだ。桶洗い一つ取っても、1個1個を足で固定して、中腰でタワシとかかとを回転させながら、一束(100個)を磨き砂で洗う。足の水虫に砂が食い込むあの痛さは、今思うと気の遠くなるような作業だった。

それらを経験した創業者の血と汗の様子を我流で表現しようと、平成5年から暇をみては描きためたイラストが数点ある。その中の2カットは東京ガスから業者向けのカレンダーにもなった。たまに、業界のグループに招かれると、イラストを肴(さかな)にしてタイムスリップしたり、両親のすごさを確認してファイトをわかせたりしているのを見かける。そんな姿を見るたびに、「ちょっぴり何かのお役に立てたかな」と安どしている。まあ、諸先代の苦労話の裏付けをしているような役ですが。

話は変わるが、銭湯は昔から子供たちのプレイスポットだった。何人かで誘い合い、流し場を遊び場にする。タイルの上を滑ったり、湯を口に含んで口鉄砲したり、頭を洗っているじいさんの後ろから親切(?)にシャンプーをかけて逃げたり。何も知らないじいさんの頭は、流しても流しても泡が消えない。その姿を見て笑い、そして怒鳴られる。しかし、遊びの天才たちもそんな悪さをやらなくなると、思春期に差しかかっているのだ。

銭湯は、楽しい遊び場でもあるが、親が教えてくれない常識を、実践で教えてもらえる場でもある。


【著者プロフィール】
笠原五夫(かさはら いつお) 昭和12(1937)年、新潟県生まれ。昭和27(1952)年、大田区「藤見湯」にて住み込みで働き始める。昭和41(1966)年、中野区「宝湯」(預かり浴場)の経営を経て、昭和48(1973)年新宿区上落合の「松の湯」を買い取り、オーナーとなる。平成11(1999)年、厚生大臣表彰受賞。平成28(2016)年逝去。著書に『東京銭湯三國志』『絵でみるニッポン銭湯文化』がある。なお、平成28年以降は長男が「松の湯」を引き継ぎ、現在も営業中である。

【DATA】松の湯(新宿区|落合駅)
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今回の記事は1997年10月発行/28号に掲載


■銭湯経営者の著作はこちら

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫

 

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)