昭和19(1944)年撮影。先代・重一さんのお兄様の出征時に撮影した家族写真。重一さんは最後列中央の男性(写真提供:内田君枝さん)


「私はあと20年頑張って、その後は次男に受け継いでほしい」
こう話しながら優しい目で笑うのは、江東区の「猿江 亀の湯」を経営する内田君枝さん。今回の銭湯物語の主人公である。亀の湯を舞台に、銭湯を家業とする家に生まれた娘と父の温かい物語をお届けする。

住宅街を照らす店頭の明かりがありがたい。夜はこの明かりが目印(写真提供:内田君枝さん)

【第一章 父と亀の湯の物語】

●銭湯家業の始まりは?
「今年(2020年)で創業84年ですね。創業者である私の祖父、先々代の前田重照は石川県の出身で、昭和11(1936)年、江東区扇橋で東扇湯を賃貸で経営したことが始まりです。東扇湯の建物外観は洋風で、正面玄関は立派な宮造りの唐破風屋根だったと聞きました」
昭和19(1944)年、太平洋戦争が激しくなったため東扇湯を廃業し、疎開先の埼玉県北埼玉郡羽生町でドラッグ湯を経営。後の羽生浴場となる(既に廃業)。

●猿江 亀の湯との出会い
「昭和19(1944)年に亀の湯を所有していた方が亡くなったことをきっかけに、先々代が引き受けました」
その後、昭和20(1945)年3月10日の東京大空襲により亀の湯は焼失。「出征先から戻ってきた私の父、先代の前田重一は、亀の湯が再建するまでの間、埼玉県の羽生浴場を手伝っていました」。終戦後、昭和24(1949)年9月に亀の湯の再建を果たす。そのころは焼け野原に徐々に家が建ち始め、地域の復興とともに商売も繁盛していった。

●昭和30年代、40年代の亀の湯
「再建後は使用人が男女5人、寝食を共にしましたね。それだけの人手が必要なくらい繁盛し、にぎやかな店でした。“薪で沸かした井戸水のお湯はよく温まる”と近所で評判だったと、父が誇らしげに話していたことを思い出します」
昭和30(1955)年に先々代・重照さんから先代・重一さん・和子さん夫妻に継承。にぎわっていた亀の湯だが、家庭風呂の普及で使用人に暇を出し、昭和40(1965)年ごろには家族経営になった。

●亀の湯は度々生まれ変わる。その思いは……
昭和55(1980)年に、現在のビル型銭湯へ建て替えた。
「父は建て替え後も燃料は薪で頑張っていましたが、平成25(2013)年にガスへ切り替えました。平成31(2019)年3月にはタイルと水道管の老朽化のため浴室内をリニューアル。すべてはこの亀の湯を守ってほしい、と願う父の一念と、娘である私が女一人でも銭湯ができるようにと、父が徐々に機械化を進めてくれていたのです」
亀の湯と家族を深く思っていた父・重一さんは、92歳まで現役の経営者として元気に番台に座っていたが、2020年4月、94歳で天寿を全うした。

 

【第2章 娘の物語】

●君枝さんの幼少期の銭湯にまつわる思い出は?
「“やい、風呂屋! 裸を見ているんだろ?”と男の子からいじめられましたね(笑)。幸い健康優良児の体格だったので、なんとか無事にやり過ごしましたけど。あと、楽しかったことの一つですが、薪を切った時におがくず(木の切り屑)が出るので、それを雪のように掛け合って遊びました。釜に薪をくべると釜の中の炎が『ボワッ』と大きく揺らぐ瞬間を見ることが好きでしたね。冬はよく釜場で読書しました」

●銭湯にかかわるきっかけは?
「大学卒業後、サラリーマンの主人と結婚して息子二人と娘に恵まれ、銭湯とは離れていましたが、15年前に母が亡くなったことが銭湯にかかわるきっかけになりました。父の食事や身の回りの世話に始まり、店の掃除や番台を手伝うことは自然の流れでした」

●銭湯を営む上で大事にしていることは?
「主に二つ。一つ目は清潔第一。浴室内は次男と一緒に掃除しています。私は鏡担当。ピカピカな鏡だと気持ちよく髭も剃れるし、気分がいいでしょう。あとは脱衣場で、注意書きなどの貼り紙は最小限にする。何かあれば直接声をかけると気持ちが伝わりますからね。そして二つ目は、お客様が利用しやすい街の銭湯であること。今、コロナ禍において公衆浴場で働く私たちは、エッセンシャルワーカーの一員だと思っています。感染予防策に気を配りながら、仕事で遅く帰る方も入浴できるように、深夜0時まで営業しています。無料の貸タオルや、女湯にはメイククレンジング、化粧水などを置くことで誰でも気軽に入浴できるように用意しています」

 

【お風呂について】
2019年にリニューアルした浴室は湯船を大きくし、洗い場は狭すぎず広過ぎず、ほどよい間隔がとられている。
一見、当たり前のように感じる浴室だが、必要なものはしっかり揃えてあり、それでいて機能的で入りやすいお風呂だと感じた。

女湯のタイル画は雄大な山並みと湖畔

山の中の露天風呂気分を味わえる

お湯の温度は42℃前後で芯まで温まる

背中のコリをほぐすジェットは勢いよく噴射し気持ちよい

そしてタイルは大きめだ。細かく区切った湯船やサウナは掃除の手間が増える。小さいタイルは目地の汚れが気になりやすい。だから、シンプルな湯船に大きめのタイルをしつらえることで掃除が行き届き、設備も維持しやすい設計になっている。お父様から受け継いだ亀の湯を続けていくことは、君枝さんにとって家族愛、地元愛の一つなのだ、と思った。全ては亀の湯を継承していくための工夫だ。

男湯のタイル画は自然の勢いを感じる滝

体を温めた後は椅子で一休み

湯上がりを整える化粧台。無料ドライヤー、化粧水などを設置

 

【最終章 親子で願うこと】

●最後に……亀の湯の今後は?
「父の遺言に『亀の湯を守ってやってほしい』という言葉がありました。この言葉を読んで父が残してくれた亀の湯を受け継ぎ、次の代へつなげよう。この猿江の地で亀の湯を続けていく、と心の中で静かに誓いました。そのためにも、あらゆる年代のお客様に足を運んでいただける銭湯にしたい。街中の親しみやすく利用しやすい亀の湯でありたい、と願っています。生前、父が『大きなおふろはゆたかな心を育てる』とよく話していました。父が残してくれたこの言葉を支えに、亀の湯の暖簾を守っていきます」

シャッターには「大きなおふろはゆたかな心を育てる」のメッセージ

シンプルな中に、温かいものを感じるお風呂屋さん。君枝さんのお父さん、今日も亀の湯のお風呂は沸いていますよ。湯気抜き窓から出る湯気が空の上から見えますか?

 

さて、今回ご紹介した亀の湯の近くにある猿江神社は、開運、運気上昇、厄除けなどのご利益があると近年、パワースポットとして人気だ。きっと、猿江神社の神様も、亀の湯がまだまだ続くことを見守っているだろう。
2021年のお参りは猿江神社に、帰りは亀の湯で心も体も芯から温めて、一年をスタートしてみてはいかが?

(写真・文:銭湯ライター 山村幹子


【DATA】
猿江 亀の湯(江東区|住吉駅)
●銭湯お遍路番号:江東区 5番
●住所:江東区猿江1-18-9
●TEL:03-3631-5449
●営業時間:15時半~24時
●定休日:土用
●交通:都営新宿線「住吉」駅下車、徒歩5分
●ホームページ:http://koto-1010-sento.jp/bath/page/2/
Twitter:@kamenoyusarue
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「若い方にも銭湯に来てほしい!と考え、スマホ片手にSNS(Twitter)で情報発信

先代・重一さんの言葉。コアラの愛くるしさと言葉の温かさがほっこりする

近年パワースポットとして人気の猿江神社にはぜひ立ち寄りたい。御朱印も人気(写真提供:成田あいさん)

境内には開運のご利益をもたらす神猿(まさる)の石像がある(写真提供:成田あいさん)