「山登りは高校時代からやっていたんです。昭和25年ころで、まだ全然ブームじゃなかったですねえ」

笑顔で語る山田一雄さんは現在82歳。東横線祐天寺駅から歩いて約5分、その名も昭和通りというレトロな商店街の途中の路地にある効明泉のご主人である。山田さんは若いころから長年、山登りを親しまれており、その経験は銭湯経営にも活かされている。まずは初めての登山の思い出から。

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山小屋風の三角屋根が目を引く外観

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レトロなお店が並ぶ昭和通り商店街

「高校はこっち(東京)なんですけど、夏休みに両親の田舎の石川県に帰るついでに、山に登ろうと思ったんですよ。そこに大阪の高校の団体が来ていて、引率の先生が『ひとりじゃ危ないから、私たちと一緒に行動するように』と。いっしょに立山・剣岳に登りましてね。大変だったかって? どうってことなかったですねえ(笑)。夏でしたし、ルートもちゃんとしていましたから。それがきっかけで、山登りにハマったんです。高校生のとき、北海道のニセコにも行きましたよ。山小屋で食べたカレーがとても美味しくてね」

かつて登った山々のエピソードを話すたびに、顔がほころぶ山田さん。現在は残念ながら脚の具合が悪く、登山は無理だというが、昔の記憶は遙か遠くヨーロッパへと飛んでいくのだった。

「ヨーロッパへは最初はスキーが目的だったんです。昭和40年代は日本人なんて少なかったですね。パリに着いたら華僑の中国人かと思われた時代ですから(笑)。山の写真もよく撮りましたよ。シャモニーには一人旅で1週間滞在しました」

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湖に鏡のように映るマッターホルン(男湯)

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アップで見るとタイルの微妙な色使いが分かる

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夕焼けのシャモニー(女湯)

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「この辺りに行きました」と山田さん

効明泉の名物となっているのが、壁面に掲げられた巨大なタイル絵だ。男湯にはスイスのマッターホルンが、女湯にはフランスのシャモニーが、色とりどりのタイルによって鮮やかに描かれている。タイル絵の製作をはじめ、大規模な中普請(なかぶしん)のリニューアル工事を行ったのが昭和42(1967)年、いまから50年以上前のこと。そのときのご苦労について教えていただいた。

「とにかく、山小屋風にしたかったんですね。瓦を下ろして、ほとんど直しちゃったねえ。残したのはいくつかの柱くらいで。大黒柱さえも外しました。大きなヒノキの柱だったんですが、今は脱衣場のベンチに再利用しています(笑)。タイル絵の作り方はね、まず原画を引き伸ばして大きな図面を引くんですよ。その大きな図面を何枚かの小さな絵に分けてから、タイルを一枚ずつていねいに貼り込んで、原画を分割した状態の小さいタイル絵を作るんです。この作業が2週間くらいかかるんですよ。その後、小さいタイル絵を壁へペタンペタンと貼り合わせて、大きなタイル絵にする作業は1日でできるんですけど。費用は100万円くらいかかりましたかね。当時としては相当な金額でしたよ」

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まるで湖にいるような気分になる浴室

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ロビーのシャモニーの写真はドリュー針峰(しんぽう)

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麦飯石を通したお湯がとてもやわらかい

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寝風呂と座風呂の水枕には冷水が入っている


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脱衣場のベンチになったかつての大黒柱

こうして山小屋風の銭湯として生まれ変わった効明泉だが、入り口の周りには立派な椿の木々が何本も茂っている。外から見ると小さな山小屋というよりも、山荘のような立派な雰囲気である。

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屋号の由来は「効用が明らか」からという

「登山家にとって山小屋というのは、まさにピンチに現れる“救世主”みたいなものですよね(笑)。ただ、昔より銭湯に来る人が少なくなったのは残念ですね。かつてはこの祐天寺のあたりも風呂なしアパートが多かったんですけど、今はお風呂が付いている一軒家が多くなりました。お客さんもだいぶ高齢になって。昭和のころはよかったんですけれど、平成になってどんどん商売が厳しくなっていったという感じはありますね。この銭湯は、自分にとっての“作品”というか……まあ古いってだけかもしれないですけどね。息子も手伝ってくれているけれど、あと、何年できるかねえ……」

銭湯経営の現状を冷静に話す山田さんだが、昭和、平成そして次の時代にも、この地域の生活に効明泉が求められていることは間違いないだろう。

「ウチの水は全部、井戸から引いているんです。銭湯の横にずっと打ってあるコンクリートの中は巨大な水槽で、100トンの水が入っています。外に猫がいたでしょう? 下の配管が温かくってね、それで集まってくるんですよ(笑)。このあたりはもともと高台で、水道の出が悪くて。そこで僕の代になったときに井戸を2本掘ったんです。消防署からは、なにか大きな災害が起きたら、水を使わせてくださいと言われています。なんでも非常時にはここの水を使って、約2000人の食事ができるそうですよ」

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日向ぼっこをしていた猫は去勢済だった

山登りにおいて、緊急時の設営を「ビバーク」という。まさに効明泉は非常時のビバークの役割も果たしているのだった。地元の人々の暮らしを山小屋のように長い間見守ってきたこの湯は、祐天寺のオアシスなのかもしれない。

(写真・文:銭湯ライター  目崎敬三


【DATA】
効明泉(目黒区|祐天寺駅)
●銭湯お遍路番号:目黒区 5番
●住所:目黒区祐天寺2-20-3
●TEL:03-3712-8238
●営業時間:16~23時半
●定休日:9、19、29日 /日曜、祝日は前日又は翌日休
●交通:東急東横線「祐天寺」駅下車、徒歩3分
●ホームページ:https://1010meguro.tokyo/map/more/k_koumeisen/

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