京成小岩駅から住宅街を進むこと徒歩5分。江戸川の土手にも近い閑静な住宅街の一角にある「鶴の湯」を訪ねた。立派な瓦屋根の宮造り銭湯で「男」「女」の文字が染め抜かれた色違いののれんが風にゆれているのが印象的だ。

「男」「女」と染め抜かれた長めののれんは鶴の湯のトレードマーク

正面の千鳥破風の屋根に飾られている懸魚には、屋号の「鶴」が刻まれている

「この仕事のいいところは、時間が自由に使えて自分のペースで仕事ができることだね」と話すのは、落ち着いた語り口調が印象的なご主人の中山光雄さん。銭湯に生まれ育ったわけではなく、かつては電電公社(現NTT)や運送屋で働いたり、昭和40年代前半のGSブームのときはバンドマンとして活躍したりと、さまざまな経歴を持つ。

「バンドをやっていたのは二十歳前後のとき。オックス(当時有名だったGSグループ)の前座に出ると、オックスと勘違いした女の子たちが“キャーキャー”すごいんだ。でも、すぐ違うってわかるでしょ。そしたら“シーン……”てなるわけ。ショックだったなあ(笑) でも演奏であちこち行けたし、お金はなかったけど楽しかったよ。いい時代だったね」と目を細める。

そんな中山さんが、奥様の実家である鶴の湯を継いだのは昭和52(1977)年、29歳の時。当時、自家風呂の普及に伴い、銭湯のお客さんが減っていくのを目の当たりにしていた中山さんは、何かウリになるものがほしい、と一念発起して露天風呂を作ることにした。

今でこそ露天風呂のある銭湯が増えているが、衛生面や環境面から、かつて東京都では露天風呂の設置を認めていなかった。それが24年前、鶴の湯が露天風呂を設ける前年に設置が許可され、鶴の湯の露天風呂は“東京初”ということで大評判となった。
「実は露天風呂を作っちゃいけないって決まりがあるなんて、私も工事業者も知らなくてさ。保健所に図面を持っていったら“露天風呂は去年までダメでしたけど、今年から大丈夫になりました”って言われて驚いたねぇ。いいタイミングで許可されてよかったよ、危なかった(笑)」

完成した露天風呂は、男湯は空に向かってそびえ立つ煙突を見上げながら湯につかるのに対し、女湯は湯船の上に目隠しを兼ねた屋根が組まれた東屋風。趣はそれぞれ異なるが、いずれも今日まで続く鶴の湯の目玉となっている。
「露天風呂を作ったときは、試運転の日からお客さんが入れてくれって大変だった。本格的に営業を開始したら口コミでどんどんお客さんが来てね。露天風呂も浴室もいっぱいになって、脱衣場で待つ人もいたくらい。寒いころだったから申し訳なくてねぇ」

とにかく大きな男湯の露天風呂

女湯の露天風呂は東屋風

そんな露天風呂から浴室へ目を向けてみると、2019年にリニューアルしたばかりとあってタイルがピカピカで全体的に真新しい。

田中みずきさんの手によるペンキ絵も、描きたてに見えるほどきれいな状態だ。男湯は中山さんの希望で北斎の浮世絵が描かれており、ダイナミックそのもの。女湯は屋号である「鶴」が描かれていて富士山の周りにも鶴が舞い、どことなくやさしげな印象。男女とも江戸川の銭湯キャラクター「お湯の富士」がこっそり描かれているのが楽しい。

男湯のペンキ絵は葛飾北斎の浮世絵がモチーフ

女湯のペンキ絵は富士山と屋号の「鶴」が描かれている

開店時間になると待ちかねたお客さんがどっと入店し、またたく間にお湯や桶の音が浴室に響きわたり、活況を呈す。筆者もたまらずひとっ風呂いただいた。3つある湯船はバイブラ、ジェット、日替わりの薬湯の3つ。いずれも熱すぎずぬるすぎず、心地よい。

湯船はバイブラ、ジェット、薬湯の3つ

男湯の浴室。窓の向こうに露天風呂がある

男湯の露天風呂は湯船が大きく休憩スペースも広い。湯船につかりながら煙突を見上げると勢いよく雲が流れていくのがよくわかる。露天風呂から至近距離で煙突を見上げられる銭湯は珍しい。鶴の湯は2016年に放送された銭湯ドラマ「昼のセント酒」の第1回に登場したが、番組制作者はこの露天風呂から見上げる煙突の風景を撮影したくて鶴の湯を選んだそう。それも納得の絶景と開放感だ。

10人以上入れそうな大きさの露天風呂(男湯)

そびえたつ煙突と青空の絶景が楽しめる(男湯)

鶴の湯でもう一つ特筆すべきがお湯の質だ。井戸水を沸かしているそうだが、なんとなく感触が軟水っぽく、少しぬめりがあって肌にやさしいように筆者は感じた。銭湯ではカルシウムやマグネシムなどの硬度成分を機械で取り除いて軟水を作り出すのが一般的だが、こちらの井戸水はもともと硬度成分が少ないのかもしれない。ぜひ感触を確かめてほしい。

湯上がりの一時を過ごす脱衣場は、元々庭があった場所にも拡張されており、外気に触れながらのんびり過ごすことができる。ソファーや縁台など腰掛ける場所がたくさんあるのもありがたい。

昔ながらの銭湯らしく、天井が高く広々とした脱衣場

かつて庭だった場所も脱衣場として利用されている

店を出たら「昼のセント酒」を追体験しに、京成小岩駅前の大衆酒場でレバフライとビールを楽しむもよし。少し離れたJR小岩駅周辺も飲食店がたくさんあるので、湯上がりの一杯を楽しむ場所には困らない。

ところで店主の中山さんの趣味は50歳を過ぎてから始めたゴルフだが、店の裏にパターの練習場を作るほど入れ込んでいるそう。ところが、現在は江戸川浴場組合の支部長を務めていて忙しいため、なかなかラウンドに出られないのが悩みとか。「早くせがれに仕事をまかせてゴルフに打ち込みたい。(75歳以上が対象の)グランドシニア選手権に挑戦したいんだよ」と笑う。息子さんに代替わりする日まで、もうひと頑張りお願いしたい。

さて、江戸川区では65歳以上の区民を対象に1回230円で入浴できる「健康長寿入浴」の取り組みが知られているが、「健康長寿入浴」の対象者は2021年4月1日からは閉店前の時間を「お湯わりタイム」とし1回100円で利用できるサービスが始まった。

閉店前は利用者が少ないため三密回避にも役立ち、なおかつ利用時間をずらすだけでリーズナブルに銭湯を利用できるのがうれしい。実施時間は銭湯によって異なるので、対象となる方はぜひ利用してみては(詳細は江戸川区のホームページ)。
(写真・文:編集部)

【DATA】
鶴の湯(江戸川区|京成小岩駅)
●銭湯お遍路番号:江戸川区 25番
●住所:江戸川区北小岩7-4-16
●TEL:03-3658-5378
●営業時間:15~23時45分
●定休日:水曜
●交通:京成線「京成小岩」駅下車、徒歩5分
●ホームページ:https://www.oyunofuji1010.com/gallery/2118/
銭湯マップはこちら

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番台だが女湯側には脱衣場が見えないように目隠しが設置されている

女湯の文字が刻まれたレトロな雰囲気のすりガラス

女湯のペンキ絵には鶴がたくさん

人懐っこい看板猫のクロちゃん