荒川区は東京23区中、人口比で銭湯が2番目に多い地域だそうだ(出典:荒川銭湯マップ)。2024年3月現在で19軒の銭湯があるが(2軒は休業中)、帝国湯、雲翠泉、草津湯など昭和の風情を残した銭湯も数多い。今回はそんなレトロ銭湯の一つ、大門湯(だいもんゆ)を訪ねてみた。

都電を降りて住宅街を北に歩むと、その先に銭湯の煙突が見える。さらに路地を進むと東京銭湯定番の宮造り建築が現れた。店の前にある花壇を挟んで、道路に対して少し斜めに店を構えるちょっと不思議な立地だ。庭から玄関の屋根に大きくせり出した樹木が趣を添えている。


路地の先に煙突が見える


道路に面した宮造り建築の立派な外観

大門湯を営むのは谷口秀夫さん。昨年は休業していた時期があり、銭湯ファンの間では先行きを心配する声がSNSで散見されていた。そのことを尋ねると「昨年は体調を崩したり、ぎっくり腰をやったりして2回休業してしまったんです。でも、昨年(2023年)末になんとか再開することができました」とのこと。

谷口さんは戦前から家族で銭湯を営んでおり、昭和20(1945)年3月9日の東京大空襲もこの地で経験している。空襲時、谷口さんは6歳で、燃料置き場に身を潜めたという。3月の空襲では類焼を免れたものの、2ヵ月後に再度空襲に見舞われ、銭湯は焼失してしまった。しかし昭和25(1950)年に同じ場所に再建して営業を再開。以来、70年以上にわたり地元の人々に親しまれてきた。

のれんをくぐると正面には横に差し込むタイプの傘入れや、「男」「女」と描かれた磨りガラスなど、昭和の銭湯の造りがそのまま残されている。差し込むタイプの傘入れは、都内の銭湯でも今はあまり見ることができない。


のれんをくぐると正面に、差し込むタイプの傘入れがある(右は下足箱)


出入り口の上のガラスに「男」「女」の案内がある

引き戸を開けて脱衣場に進むと、そこはもう昭和の銭湯そのものだ。番台、格天井、木の床、柱時計、坪庭。女湯にはベビーベッドやお釜型のドライヤーも置かれている。「いろいろ貼ったり置いたりするのは好きじゃない」という谷口さんの方針により、脱衣場はポスターやお知らせの類はほとんどなく、いたってシンプルだ。

「建物が古いからあちこち直したいところばっかりで」と谷口さんが話すように、昭和25年に建てられた建物は年季が入っているものの、掃除が行き届いており、お店に対する愛着をひしひしと感じる。


木の温もりを随所に感じる脱衣場


昔ながらの番台スタイル


昭和のベビーブームを思い出させるベビーベッド(女湯)


お釜型のドライヤーも現役(女湯)

浴室に入ると中島盛夫さんが描いたペンキ絵がお出迎え。男湯は富士山の傍らを満開の桜が染めて華やかな雰囲気だ。


男湯のペンキ絵は富士山


女湯のペンキ絵は海から見た山々

浴槽は男湯女湯とも同じ造りで、広々としたバイブラ付きの白湯、ジェットバス、薬湯の3つ。白湯の浴槽の底には子どもに喜んでもらえるようにと描かれた金魚のタイル絵が目を引く。入浴剤で泡立っているジェットバスは、なかなか勢いがあって背中をぐいぐいとほぐしてくれる(入浴剤の品名は谷口さんもよくわからないそうだが重曹系とのこと)。


浴槽は男女共に白湯、ジェットバス、薬湯の3つ


白湯の浴槽の底には金魚のタイル絵


泡でいっぱいのジェット風呂

そして薬湯では毎日「生レモン湯」が実施されている。ネットに入っておらず、生のまま浮かんでいるので視覚的に楽しく、先客がレモンを絞ったのか酸っぱい香りが浴槽に漂い気分をリフレッシュさせてくれる。


薬湯は生レモン湯を毎日実施


レモンの酸っぱい香りで気分をリフレッシュ


男女の仕切り壁にもモザイクタイルで西洋の風景が描かれている


丁寧に磨き込まれて、手入れが行き届いた浴室

訪ねたのは平日の夕方で、ひっきりなしにご近所の常連さんがやってくる。顔見知り同士らしい挨拶が飛び交っていかにも下町の雰囲気だ。3つの浴槽のお湯の温度は、いずれも少し熱めで体が芯から温まり、家風呂では味わえない満足感と開放感に満たされた。

湯上がりに脱衣場で涼んでいると、ガラス戸に「古典落語(志ん生外)ご希望の方は番台へお申し付け下さい」という貼り紙を発見。

なんでも谷口さんは若い頃、落語の大ファンで、昭和30年代前半にラジオで流れていた古今亭志ん生や金原亭馬生(十代目)、桂文楽(八代目)など、往年の名人の高座をオープンリールデッキで録音してコレクションしたという。
「オープンリールがなくなったから全部MDにダビングしたんですよ。そしたらMDも廃れちゃったもんだから、今度は甥っ子にMDを全部CDにダビングしてもらったんです」
その数、CDで約200枚。CDごとの演目を記したリストも作成してある一大コレクションである。
「せっかくのコレクションだから、古い落語が好きな人がいたら湯上がりに聞いてもらおうかと思ってなんとなく貼り紙してみたんです。でも、湯冷めしちゃうから今まで聞きたいって言った人は一人だけだね(笑)」と谷口さん。
コレクションの中には現在では演じられなくなった演目も多い。興味のある人は谷口さんにコレクションの内容を尋ねてみては(ちなみに谷口さんは今の落語家さんは全然わからないそうだ)。


男湯の脱衣場に張り出されているお知らせ


谷口さんが作成したコレクションのリスト

椅子に腰掛けて、木の温もりを感じる脱衣場を見渡してみれば、ガラス戸にはねじ込むタイプの鍵、レトロな体重計や扇風機など、まるで昭和へタイムスリップしたかのような空間が現役であることに感動してしまう。昭和的な風景が町中から次々に姿を消していく中、大門湯ではタイムスリップしたかのような雰囲気が楽しめる。大門湯で、ぜひ下町伝統のあつ湯とノスタルジーにつかってみてほしい。

(写真・文:編集部)


【DATA】
大門湯(荒川区|東尾久三丁目駅)
●銭湯お遍路番号:荒川区 9番
●住所:荒川区東尾久6-11-2(銭湯マップはこちら
●TEL:03-3895-4668
●営業時間:16~21時
●定休日:月曜
●交通:都電荒川線「東尾久三丁目」駅下車、徒歩3分
●ホームページ:http://arakawa-sento.jp/大門湯

※記事の内容は掲載時の情報です。最新の情報とは異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。


最近は滅多に見られないねじ込むタイプの鍵


昔ながらの体重計も現役


開放感を感じる脱衣場の高い天井


ちょっと懐かしいタイプのシャワー


運が良ければ藍染に白抜き文字の渋いオリジナルのれんが見られるかも