平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


曹操は誰か、劉備は確か、関羽は? 「銭湯三国志」の連載を始めてから、そんな関心が業界の中でもたれていた。北陸人、とりわけ新潟、富山、石川の三国がリードしてきた東京の浴場業界。強固な団結力と出身県間での熾烈な切磋琢磨を描くことが、この連載を始める動機だったからだ。

団結の強さは昔のまま続いているかに見える。しかし、切磋琢磨はどうだろう。三国出身の初代はすでに多くが引退し、業界は二代目、三代目がリーダーとして活躍している。現リーダーの田舎は別々だが、すでに心は「東京人」。当然、かつての覇権争いの動機は薄れ、そのエネルギーも失われている。

銭湯経営者の団結力は、切磋琢磨と表裏をなしていると筆者は考えていた。はたから見れば醜い、あるいは滑稽(こっけい)な争いもあった。出る杭が打たれる場面も多々あったが、総じてそのパワーは強い業界の礎となる効果をもたらした。三国は覇権を争いつつも連邦共和国を実現したのである。だから筆者にとって、誰が曹操でも劉備でもよかった。その後、業界は和を尊びながら団結力を保つことができた。その一方で、歯止めのかからない浴場軒数の減少を招いている。三国の覇権争いの後、唐や明など強大な帝国を築いた国の例とは、そもそも同じではない。

ではなぜ「三国志」なのか。今の若い浴場経営者たち、つまりこれから業界をリードしていく人たちに、覇を競うことと和を尊ぶことの大切さを伝えたいということが一つの理由、それは同時に日本の間題でもあるということがもう一つの理由。東京の公衆浴場がたどった昭和・平成の歴史に、その答えが潜んでいると伝えたかったのである。

私たちの業は利用者の「必要」の上に成り立ってきた。しかし利用者に「必要」をプレゼンテーションしてきたわけではない。だから利用者の「必要」が減った分、業の規模が縮小したといえる。現在、業界は健康増進施設としての公衆浴場という新しい需要の発掘に取り組んでいる。これはまさに、新しい切磋琢磨の可能性である。

ところで昨年末、大学生が銭湯を見直す展示企画を廃校となった小学校で開いた。一晩で何軒の銭湯を回れるかに挑戦したビデオや、銭湯の高い天井を利用してプラネタリウムにしようという提案など、一見、荒唐無稽(こうとうむけい)な風情ではあったが、銭湯にエンタテイメント性を求める、利用者側からの新鮮な発想は実に感慨深かった。こうした外側からの銭湯に対する刺激は多く寄せられている。捨てたものではない。利用者を巻き込んだ新しい切磋琢磨が、ひょっとすると業の生命を復活させるのかもしれない。それを願って、取り留めのない三国志を終えたい。


「銭湯三国志」は今回をもって終了いたします。3年間にわたり、ご愛読ありがとうございました。


【著者プロフィール】
笠原五夫(かさはら いつお) 昭和12(1937)年、新潟県生まれ。昭和27(1952)年、大田区「藤見湯」にて住み込みで働き始める。昭和41(1966)年、中野区「宝湯」(預かり浴場)の経営を経て、昭和48(1973)年新宿区上落合の「松の湯」を買い取り、オーナーとなる。平成11(1999)年、厚生大臣表彰受賞。平成28(2016)年逝去。著書に『東京銭湯三國志』『絵でみるニッポン銭湯文化』がある。なお、平成28年以降は長男が「松の湯」を引き継ぎ、現在も営業中である。

【DATA】松の湯(新宿区|落合駅)
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今回の記事は2006年2月発行/78号に掲載


■銭湯経営者の著作はこちら

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫

 

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)