平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


越後の人は愚直なまでの粘り強さをもつ。反面、口下手で不器用でもある。総じてひたむきで堅実な傾向があるといわれる。

この気質は豪雪との格闘によって培われた。冬は雪に閉ざされるから、「働けるときに働こう」が伝承され、忍耐力が自然と養われたのである。忍耐力の証は離婚率の低さからも明らかだ。女性の我慢強さは昔から定評があり、「嫁をもらうなら越後の女性に限る」といわれるほど。我慢強さを武器に外へ出て働く人が多く、「頼まれれば江戸まで餅つきに」というエピソードがあったほどだ。

そして越後は美人の産地でもある。「日本海一県おき美人説」というのがあるそうで、秋田から1つ飛んだ新潟県も美人が多いということのようだが、両県には、米どころ、いい温泉、銘酒が多いという共通点がある。この3つの共通点は、実は水質のよさに結び付く。そして、水がいい地域は美人が多いとなるわけである。

新潟県人が都会へ出て就く職業は、豆腐屋、米屋などハードで薄利多売なものが多い。銭湯またしかり、である。意外かもしれないが、看護師や旅館従業貝の分野へ進出する女性が多いのは、やはり我慢強くて弱音を吐かないからである。新人国記によれば「千人が九百人は負くる事を嫌いて勝つ事を好み、仮初(かりそめ)にも勇をたしなみ、痛きということをば痒(かゆ)きという」というくらい負けず嫌いでもある。

戦国時代、甲斐の武田信玄と壮烈な争いを演じながら、海のない宿敵甲州に塩や海産物を送りつづけた「塩の道」は今も存在し、越後人の心の祖である上杉謙信への思いが痛切に感じられる。

しかし越後人にも暗部はある。昔から「杉の木と男の子は育たない」という言葉がこの地にはあるが、これは大陸から吹きつける冷たい風に杉の木が成長を阻まれ、男の子、特に長男は根性に乏しいことを意味する。長男を大切にするあまり、母親や女兄弟がチヤホヤする。結果、子供の頃から甘やかされて育ち、骨抜きにされ、自立心が欠けてしまうのである。海に面した新潟周辺にはその手の男が多い。清酒の消費量が全国平均のほぼ2倍というのも、そうした男どもが貢献しているのではないか。

つまり新潟県人は頑張り屋といわれるが、それは男女とも山間部の第2子以下に限られる。確か、田中角栄元総理も次男だったはずだ。

大相撲の立浪三羽烏の一人だった横綱羽黒山政司は銭湯人出身。終戦直前、南海に散った海軍司令官山本五十六元帥、お客様は神様の三波春夫らも越後の産である。長い歴史に培われた県民性はそう簡単に風化するものではない。

参考資料:「出身地でわかる人の性格」岩中祥史(草思社)


【著者プロフィール】
笠原五夫(かさはら いつお) 昭和12(1937)年、新潟県生まれ。昭和27(1952)年、大田区「藤見湯」にて住み込みで働き始める。昭和41(1966)年、中野区「宝湯」(預かり浴場)の経営を経て、昭和48(1973)年新宿区上落合の「松の湯」を買い取り、オーナーとなる。平成11(1999)年、厚生大臣表彰受賞。平成28(2016)年逝去。著書に『東京銭湯三國志』『絵でみるニッポン銭湯文化』がある。なお、平成28年以降は長男が「松の湯」を引き継ぎ、現在も営業中である。

【DATA】松の湯(新宿区|落合駅)
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今回の記事は2005年10月発行/76号に掲載


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