「燕湯に命をもらっている」といってくれる常連さんがいると、嬉しそうに語る3代目女将の橋爪雅栄さん。燕湯に嫁いで40年余り、時代の移り変わりを番台から見つめてきた。燕湯の歴史から街と人々のつながりなど、女将さんの話を元に紹介しよう。

燕湯はJR山手線の御徒町駅から徒歩4分ほどのところにあり、朝湯を楽しめる銭湯として有名である。創業時の確かな記録は残されていないが、昭和20年当時の建物は空襲で焼失し、現在の燕湯は昭和25年に建てられたものである。朝湯は創業当初から行っており、朝6時から営業するために、まだ夜も明けぬ早朝3時頃から長男と共に仕込みを初めている。

かつて秋葉原駅近くの秋葉原UDXビル辺りに、「ヤッチャバ」と呼ばれる青果市場があった。そこで働く人々や上野駅に行商に来た人々が、早朝に燕湯に立ち寄りにぎわっていたという。脱衣場のロッカーの横幅が広く作られているのは、荷物が多かった行商人達が通った名残りである。

昔から宝石や貴金属の卸問屋が集う御徒町でひときわ目を引く燕湯の建物は、再現が困難な木造建築であることや、浴室の岩山が富士山の溶岩を用いて造られていることなどが評価され、2008年に東京の銭湯としては初めて国の登録有形文化財に指定された。入り口の瓦屋根に覆いかぶさるように造られた階段を登ると、かつて住居として使われていた空間があって、現在は次男が営むハワイアンジュエリーの店になっている。この特徴ある構造は、建築を主題として東京の銭湯を撮影する私にとって、必ず写真に記録したい銭湯であった。

周辺地域はバブル期を境にビルが増え始め、それまであった宅地も今は皆無に等しい。秋葉原と上野に挟まれた土地柄のため、2つの街の変遷と燕湯の客層の移り変わりは無関係ではない。’90年代には上野公園に集うイラン人が多く利用し、近年ではアキバ系と呼ばれる若者が増えているという。

白地に二文字「燕湯」と記されたのれんを潜り脱衣場へ入ると、格式が高い折り上げ格天井、さらに長押(なげし)には黄金色の釘隠しまで打たれており、ここまで細工を施した脱衣場を私は他に知らない。銭湯で天井を見上げる機会はあまりないかもしれないが、着替えの時に視線を上げて、当時の職人芸に思いをはせるのも面白いだろう。

浴室には特別な存在感を放つ富士山の溶岩で造られた岩山がある。かつてお湯が流れ出ていた場所には、現在は滝の絵が描かれている。坪庭に溶岩らしき岩山が残る銭湯はあるが、燕湯ほど浴室に高く積まれている銭湯は珍しい。

さて、名物の朝湯は地下水をガスでゆっくりと沸かす。朝6時の開店時には46~47℃とかなり熱めの設定だが、時間が経つにつれ温度が下がり15時頃にはちょうどよい41~42℃程度となる。常連さん達は朝湯を好み、その熱さに慣れているのだろうが、慣れていない人には驚くほどの熱さだ。熱くとも平気で湯に浸かる常連さん達を見ていると、畏敬の念が湧いてくる。我慢して入るもよし、先輩達の凄技を見るもよし。燕湯の朝湯の楽しみ方はいろいろだ。

都心の隙間なく建つビルの谷間に佇む燕湯の姿からは、砂漠に咲く花のように生命力と可憐さを感じざるを得ない。冒頭で紹介した常連さんのように燕湯から生きる活力をもらっている人も少なくないはずである。
(写真家 今田耕太郎)


【DATA】
燕湯(台東区|御徒町駅)
●銭湯お遍路番号:台東区 27番
●住所:台東区上野3-14-5(銭湯マップはこちら
●TEL:03-3831-7305
●営業時間:6~20時(最終受付は19時半)
●定休日:月曜、火曜
●交通:山手線「御徒町」駅下車、徒歩4分
●ホームページ:https://www.taitosento.com/
●Twitter:@tsubameyu1126

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今田耕太郎

1976年 北海道札幌市生まれ。建築写真カメラマン/写真家。
2014年4月よりフリーペーパー「1010」の表紙写真を担当。2015年4月からはHP「東京銭湯」のトップページ写真を手がける。
http://www.imadaphotoservice.com/

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