今回撮影をさせてもらったのは、創業昭和25(1950)年の文京区・豊川浴泉。

初代ご主人の岡嶋乙次郎さんが大工であったため、建物は吟味を重ねた材料で建てられている。梁や柱はニスを塗らず、木そのものの質感を活かして建てられており、常連からは「目白御殿」と呼ばれていたのも頷ける。また、瓦屋根の周りには、建設当時に左官職人がコテで造った獅子や蛇などの魔除けの装飾が残されているのも、浴客の目を引く。

現在のご主人は3代目の幸夫さん。90歳になる2代目の三郎さんは今も現役で、開店時にはフロントに座り、閉店後は親子で掃除を行う。

三郎さんによると、初代の乙次郎さんは子宝に恵まれ、大塚、四谷三丁目、神田、新宿河田町、そしてこの目白台・豊川浴泉の5軒の銭湯を子供たちに残した。乙次郎さんが「銭湯を5軒建てるまで協力頼むね」と、建築に携わる職人や親戚に話している姿を三郎さんはよく見ていたという。

私は長年銭湯の撮影をしているが、5人の子供に銭湯を与えたという話は今回初めて耳にした。乙次郎さんが子供たちへの愛情に加えて銭湯も与えることができたほどの、当時の浴場業界の活況がよくわかる。

乙次郎さんの三男だった三郎さんが豊川浴泉を継いだのは、もう60年以上も前のこと。当時、目の前の通りは目白と高田馬場を繋ぐ「メダカ(目高)商店街」と呼ばれ、賑わっていたそうだ。現在は住宅が建ち並ぶ風景に変わったが、この通りに豊川浴泉があることで行き交う人々は、やすらぎを感じていることだろう。

さて、豊川浴泉の名前は元々の地名、高田豊川町(昭和41年まで使用)に由来している。かつてこの地は水が綺麗と評判で、それがきっかけで初代の乙次郎さんは、今の場所で銭湯を始めた。現在も水に恵まれ、井戸水でお湯を沸かしている。

銭湯に限らず、先祖代々受け継いできたものや自然の恵みは、先人達が大切にしてきたからこそ今に残る。それを忘れずに、私たちは後世に残す努力をしなければいけないということを、豊川浴泉の撮影を通して教わった気がする。
(写真家 今田耕太郎)


【DATA】
豊川浴泉(文京区|早稲田駅)
●銭湯お遍路番号:文京区 3番
●住所:文京区目白台1-13-1
●TEL:03-3941-7856
●営業時間:16~23時50分
●定休日:月曜、金曜
●交通:都電荒川線「早稲田」駅下車、徒歩5分
●ホームページ:http://www.sentou-bunkyo.com/pg61.html
銭湯マップはこちら

※記事の内容は掲載時の情報です。最新の情報とは異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。

th_2_PS_1558

th_3_PS_1486

th_4_PS_1428PP


imada

今田耕太郎

1976年 北海道札幌市生まれ。建築写真カメラマン/写真家。

2014年4月よりフリーペーパー「1010」の表紙写真を担当。2015年4月からはHP「東京銭湯」のトップページ写真を手がける。

http://www.imadaphotoservice.com/