平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


「落語」を聴きたい時は、国立演芸場と決めている。入場料は65歳以上は千円。名人会の時はちょっと上がるが、好きな噺家の落語が聴ける。これまでさんざん働いたんだ、余生は楽しまなきゃ、と自分に言い訳しながら出かける。

その日場内は満員、まず出囃子(でばやし)の端唄(はうた)「香(か)にまよう」が御簾(みす)の奥から聞こえてくる。戦後、生活に困った母は「どこか出囃子でも使ってくれないかしら」と言っていた。自慢じゃないが母の三味線は天下一品だったと思っている。その娘に育ったのに、私はペンともシャンとも弾けない。

さて、国立演芸場の上席、今日のトリは古今亭志ん輔さんの「お見立て」という、吉原を題材にした演目。子供の頃、あの辺りで育った私には吉原は懐かしい所。 江戸時代、吉原では3千人が働き、お客は一日に2万人だったとか、そりゃ大変な混雑だったに違いない。

落語の筋は、野暮なお客にてこずった花魁(おいらん)が、牛太郎(ぎゅうたろう)と呼ばれている若い衆にそのお客を断わってくれと頼む話だが、涙が出るほど笑わされた。熱演の志ん輔さんに御祝儀をお包みしたい。

志ん輔さんの落語を聴きながら、見返り柳だの吉原土手だの、昔の吉原を思い出した。今の見返り柳は3代目、吉原土手も大門もよすがを偲ぶだけ。

吉原へ行くのは、昔は人力車、今はタクシーと、どちらも車。トボトボ歩いて行く男はいない。昔いた半纏(はんてん)姿の牛太郎さんは、今はパンチパーマのお兄さんになり、花魁はコンパニオンと呼ばれるようになった。

昔々、女性が吉原の中を歩くと塩をまかれたという。戦争の始まる前、その中を子供の私と友達は大手を振って龍泉寺のソロバン塾へと通った。当時は、かんざしをたくさん挿した花魁さんが格子の中にいるのをのぞいたり、店の中にならんでいる顔写真をのぞいたりした。「廓(くるわ)はこれから始まり」という合図のチンチンと鳴る鐘をあとに残して私達はソロバン塾へ。ソロバン塾の近くには、作家樋口一葉が一時開いていた駄菓子屋があったと聞いたことがある。

私の子供時代、年頃の娘はメリンス(※)の着物に髪は桃割れに結っていた。一方若い男性は鳥打ち帽に角帯。浅草六区はそういう若者で盛り上がっていた。平成の今、私の隣の席にはジーパンの娘さん、振り向けば長い金髪やスキンヘッドのお兄さんがゾロゾロ。とはいえ、吉原を知っている人も知らない人も落語のおかげで吉原に馴染む。

友人曰く「吉原のダイモンって素敵ね」に「ダイモンじゃないのオオモンって言うのよ」とうるさい私。

※メリンス:羊毛で縫った軽くてかい着物

 

「下町人情いまむかし」は、今回をもって連載を終了いたします。
ご愛読ありがとうございました。

2011年4月発行/109号に掲載


【作者プロフィール】
文:島田和世(しまだかずよ)
昭和5(1930)年、東京浅草生まれ。博徒の父と芸者屋を営む母のもと、終戦まで浅草・谷中・亀戸などで育った生粋の下町娘。著書に短編集『橋は燃えていた』(白の森社)、小説『水鳥』、句集『海溝図』(ふらんす堂)、自伝『市井に生きる』(驢馬出版)、『浅草育ち』(右文書院)がある。

挿絵:笠原五夫(かさはらいつお) 
昭和12(1937)年、新潟県生まれ。昭和27(1952)年、大田区「藤見湯」にて住み込みで働き始める。昭和41(1966)年、中野区「宝湯」(預かり浴場)の経営を経て、昭和48(1973)年新宿区上落合の「松の湯」を買い取り、オーナーとなる。平成11(1999)年、厚生大臣表彰受賞。平成28(2016)年逝去。著書に『東京銭湯三國志』『絵でみるニッポン銭湯文化』がある。
なお、「松の湯」は長男が引き継ぎ、現在も営業中である。

【DATA】松の湯(新宿区|落合駅)
銭湯マップはこちら


■銭湯経営者の著作はこちら

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫

 

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)


銭湯PR誌『1010』の最新号は都内の銭湯、東京都の美術館、都営地下鉄の一部の駅などで配布中です! 詳細はこちらをご覧ください。


163号(2025年12月発行)

162号(2025年9月発行)


161号(2025年6月発行)

160号(2024年12月発行)


159号(2024年9月発行)

158号(2024年6月発行)

157号(2023年12月発行)

156号(2023年9月発行)