平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。
くけ台(※1)を右側に、裁ち板(※2)を前に正座しているおきよさん。裁ち板の上の反物にどこからはさみを入れようかと思案中の様子。くけ台の上の針坊主には、もめん針、絹針、まち針がところ狭しと光っている。
鼻の穴から煙が出ていないことがない煙草好きのおきよさん。巻き煙草がきれると今度はキセルにキザミ煙草をつめてスパスパ。白い割烹着に、衿にはジョーゼットのマフラー、仕事に弾みがつくと淡谷のり子の「別れのブルース」の鼻歌が出る。
男の子が3人いるおきよさんは、遊び人の旦那に愛想を尽かし、3年前から私の家の前の姉さん宅の2階に住んでいる。「角隠しでちゃんとお嫁にいったのに」と姉さんはそんな妹が不憫(ふびん)で仕方がない。
下町は路地が狭い。おきよさんの家の中は私の部屋から丸見え。はしご段を踏む音でどの子が帰ってきたのかがわかるというおきよさん。その日、最初に帰ってきたのは印刷工の2番目の息子、すぐに母親の肩を揉む。「疲れてんだから、いいよ」と息子の顔を見あげるおきよさん。
次に上がってきたのは一番上の息子。「寝るより楽はなかりけり、浮世の馬鹿は起きて働く」というと彼は畳の上に大の字になる。映画好きの彼は、休みの日には必ず3本立ての映画を観てきては「映画はやっぱり監督だ」と弟を相手に息巻く。「いや、映画は脚本だよ」と弟が反論。そんな様子を見ているおきよさんの嬉しそうな顔。
その日最後に上がってきたのは末っ子。タイミングよく、「ごはんだよ」と下からおばさんの声。
「腹減った」
先を争って階段を降りようとする息子たち。
「気をつけなさいよ」
後からおきよさんの声。食事中は無言。誰にいうとなく呟くおきよさん。
「今夜は徹夜になりそうだわ」
「おれが手伝ってやるよ」と優しい2番目の息子。
「お代わり」と食欲旺盛な末っ子。
窓の外を新内(しんない)流しが「えーこんばんは」と声を張り上げて過ぎていく。
「ひとっ風呂浴びてこようっと」と箸を置く長男。
「おふくろは?」優しい次男。
「だってあれを仕上げなきゃ」
食事が終わった後もおきよさんは40ワットの電球を手許まで下げ、着物にかがみこむ。いつの間にか床に入っていた私。時計の針は12時を回っていた。
「ああ、やっと終わった」
おきよさんのほっとした声。
「おれ、届けてやろうか」
寝ていた息子が障子をあけて顔を出した。
その頃、中国との戦争がひろがって、おきよさんの息子たちにも次々に召集令状が来た。息子たちは近所の人に日の丸を斜めにかけて「おふくろを頼みます」と挨拶していったそうな。
※1 着物の端をはさんで、引っ張って縫うための道具
※2 布を裁断するときに台として使う板
※3 薄手で透けて見える、縮みのある生地のこと
2010年12月発行/107号に掲載
【作者プロフィール】
文:島田和世(しまだかずよ)
昭和5(1930)年、東京浅草生まれ。博徒の父と芸者屋を営む母のもと、終戦まで浅草・谷中・亀戸などで育った生粋の下町娘。著書に短編集『橋は燃えていた』(白の森社)、小説『水鳥』、句集『海溝図』(ふらんす堂)、自伝『市井に生きる』(驢馬出版)、『浅草育ち』(右文書院)がある。
挿絵:笠原五夫(かさはらいつお)
昭和12(1937)年、新潟県生まれ。昭和27(1952)年、大田区「藤見湯」にて住み込みで働き始める。昭和41(1966)年、中野区「宝湯」(預かり浴場)の経営を経て、昭和48(1973)年新宿区上落合の「松の湯」を買い取り、オーナーとなる。平成11(1999)年、厚生大臣表彰受賞。平成28(2016)年逝去。著書に『東京銭湯三國志』『絵でみるニッポン銭湯文化』がある。
なお、「松の湯」は長男が引き継ぎ、現在も営業中である。
【DATA】松の湯(新宿区|落合駅)
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「東京銭湯 三國志」笠原五夫
「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫
「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛
「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)
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