平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


節分とは、立春の前日のこと。その日、夕方には「ひいらぎ」の枝に鰯の頭を刺して戸口に立て、悪鬼払いのおまじないにする。私の子供の頃は、どこの家でも見かけた風景だが近頃はほとんど見られなくなった。

節分といえば主役は青鬼・赤鬼。それは想像上の怪物で、牛の角や虎の牙を持ち、腰に虎の皮の褌を巻いて登場というのが相場。その鬼に家の中に入られちゃ大変、と炒った豆をかかえて一家総出の大奮闘。お父さんの「福は内」「鬼は外」の威勢のよい掛け声に子供たちが続く。

まだまだ外は寒いが節分が来ると人は春待つ心に浮き立つもの。

節分前日の朝刊に、上野の清水観音で午前十一時から節分の催しありの記事を発見した私、イベントといえば逃さないのが江戸っ子。それだけではない、午後二時から五條天神で豆まきもあるという。そりゃ豆まきの梯子(はしご)と行かなきゃ、と友達を誘う。

まず清水観音では、ありがたい般若経に頭をたれて神妙に聞く。さてそのあとは、楽しみな「なおらい」(宴)があるはず、と期待。

待つ間もなく、「どうぞこちらへ」と案内の女性の声に、「いきましょ」と友達と顔を見合わせる。本殿から渡り廊下を伝い、奥の間へ入ると、中には大きな塗り鉢に山盛りのお赤飯、丁度十二時お腹にも絶妙なタイミング。部屋に充満した小豆の匂いが食欲をそそる。濃いお茶と、黄色い沢庵と、湯気のたつお赤飯をいただき、感謝のお礼をのべて外へ出る。

さて、次なる目的は、五條天神、早咲きの梅もちらほらみえる。鬼やらい(節分の別称)も神社となればやり方はちがうが、クライマックスはいずれも赤鬼、青鬼の登場である。境内は立錐(りっすい)の余地もない。神主さんの祝詞をしばらく聞く。やがて鬼退治のあと、ようやくお出ましの上下(かみしも)姿の年男達の「鬼は外、福は内」のかけ声に、爪先をたてて待っていた善男善女が豆を拾おうと、右に左に走る。足元の覚束ない私は、小さな袋を一つ拾うのがやっと。そこで友達の声。
「おけらをいただいていきましょうよ」
「えッ、おけらって?」
おけらとは文無しのことでは、と早合点の私。そこで友達の說明、
「おけらってね、植物のおけらの根を干したもので、節分にそれを焚いてその煙を吸うと、一年中無病息災で過ごせるというわけなの。そうそうおけらのことを古名では、うけらともいうのよ」
「へー、物知り、ぜひぜひいただいて帰りましょうよ。今私達が一番こわいのは病気ですからね」

家へ持って帰った、おけらならぬ、うけらを袋から出し早速焚く。しばらくすると灰の中から紫色の煙がたちのぼり、あたりを包んだ。


【作者プロフィール】
文:島田和世(しまだ かずよ)
昭和5(1930)年、東京浅草生まれ。博徒の父と芸者屋を営む母のもと、終戦まで浅草・谷中・亀戸などで育った生粋の下町娘。著書に短編集『橋は燃えていた』(白の森社)、小説『水鳥』、句集『海溝図』(ふらんす堂)、自伝『市井に生きる』(驢馬出版)がある。


挿絵:笠原五夫(かさはら いつお) 
昭和12(1937)年、新潟県生まれ。昭和27(1952)年、大田区「藤見湯」にて住み込みで働き始める。昭和41(1966)年、中野区「宝湯」(預かり浴場)の経営を経て、昭和48(1973)年新宿区上落合の「松の湯」を買い取り、オーナーとなる。平成11(1999)年、厚生大臣表彰受賞。平成28(2016)年逝去。著書に『東京銭湯三國志』『絵でみるニッポン銭湯文化』がある。なお、平成28年以降は長男が「松の湯」を引き継ぎ、現在も営業中である。


2007年2月発行/84号に掲載


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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

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