平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月✕日

「昨日、久しぶりに水戸までひとっ走りしてきたんだ」
「ホウまた自転車ですが、水戸って100km近くもあるんでしょ」

湯上がりの常連さんとの会話である。この方ね、どこへでも自転車ですっ飛んでいっちゃうスゴイお人なんである。

エッ、俺だって毎んち10km以上自転車で会社を往復してらァだって? どうも外野はウルセエな。それでそういうアンタは幾つなの? 35? あのねえ若けりゃそんなの当たり前よ。アタシが今お相手をしている人はねえ、聞いて驚きなさんなッ、なんと86歳なんですぜ。86だよアンタ。もうじき米寿を迎えるご老体が自転車で100kmを突っ走っちゃうんですぜ。こりゃあ年寄りの芸当じゃないと思うがねえ。まさに驚き桃の木山椒の木、恐れ入谷の鬼子母神さ。アタシャ感嘆アンド尊敬よ。

「俺ね、60で自転車を始めんだけど、仲間と二人で西は大阪から東は青森まで走り回ったんだ。北海道へ行かなかったのが今では心残りだな」
「60? 還暦からですねえ。スゴイもんだ。年取ること忘れちゃったんじゃないですか」
「ヘッ、そうかな。ところでアンタの田舎は新潟だったよね。新潟も行ったなあ。あれは新潟から会津までいったときで65だった」
「ウッホッ、65で会津までねえ」
「ウン、最初は高崎までで次が猿ヶ京で六日町、長岡と走ったな」

ウーンなんとまあ若いんだろ。もっともこの方、今でも若々しいんだ。短く刈り込んだ頭髪は白髪もないし黒々している。目も耳もそして会話も86のそれではない。とにかく矍鑠(カクシャク=老いても丈夫で元気なさま)とは、この人のためにある言葉だ。

ということで、自転車談義を済ませてお帰りになった若いご老体が数分後、今度は一冊のアルバムを持ってお見えになった。
「さっきの新潟から会津へ行った時の写真なんだ。まだいろいろあるんだけど、眺めて……」

ホホウ貴重な写真集ですな。早速拝見。表題が「新潟・会津の旅 昭和58年8月10日より17日まで」となっている。今から23年前だ。アルバムは65歳の青年が? 自転車にまたがっての道中記だが、走行距離から風土などの解説がついている。ちょっとご紹介しよう。

☆8月10日、板橋志村にて。これより新潟へ向かう。
☆いよいよ三国峠だ、足に力が入る。(最大の難所ですもんねえ)
☆新潟到着。私の一つの望みを遂げた……。
☆8日目、郡山より東京まで260 kmを一気に突っ走った……。
(ウーム260 kmを一気か、ツールド・フランス並みだな)

名所旧跡に美しい山河、有名な建物等などをバックにしたペダル行脚の模様がページをめくる毎に明るく迫ってくる感じだ。
「せみ時雨 降る中自転車 二人旅」
などの自作の句も添えてある。いいねえ、すばらしい記念写真だ。

アタシャつくづく思ったよ。この方はね、86歳の今でも気が向くと千葉・埼玉などの近郷へ自転車を走らせ、1ン日でン10kmも漕いでくるっていうけど、こうなっちゃうと前段で言ったカクシャクの表現なんか超えちゃっているよ。不老長寿を地でいく人だな。今でも青春なんじゃないか、万年青年だね。ホント、スゴイと思うし、羨ましくもあるねえ。

アタシもそう有りたいと願うなあ。しかしねえ、2km程度のK町へ行ってきただけでもう股が張ってしょうがないような手合いじゃ、とても無理だよなあ。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 
昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2006年10月発行/82号に掲載


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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

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