平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月✕日

そろそろ80に届こうかという常連おばちゃんがフロントで言う。明るく愉快な方である。
「石けんちょうだい、花王石けん!」

花王石けんですかあ、石けんは教種類おいてあるが……。え~と植物物語はライオンだしラックスはユニリーバか。牛乳の赤箱は牛乳石けんだよな。ハテ花王が出してる石けんは? アタシャ、ケースを見ながらちょいと首をかしげた。と、おばちゃんご催促だ。
「花王の赤い牛乳石けんよッ」

ウッホッ花王の牛乳ときたぜ。おばちゃんさア、牛乳は花王じゃありませんがな。おばちゃんは石けんといえばみ〜んな花王だと思ってんですな。ま、なんにしても、花王の牛乳石けんとくりゃあキレイになるでしょうなあ。

アタシね、商売柄っていうわけじゃないが、石けんについてはちょっぴりウンチクを持ってんだ。ウンチクだよおばちゃん、シナチクじゃないからね。つまりチシキ、知識ってことなの。

そこで花王の牛乳石けんの話が出たついでに、おばちゃんにそのウンチクを喋りたくなったんだけど聞いてくれるかな? まあそうはいっても風呂屋のオヤジの話だからツマンネエと思ったら遠慮なく横向いてもいいからね。あれっ、話す前から横向いちゃダメだよ。

さて、現在日本で石けんを販売している会社は大小あわせると十数社もあるんだよね。例えば花王のほかにライオン、カネボウ、資生堂などなど。そんな中で花王が日本で一番古い石けん会社らしく、創業は明治16年なんだってさ。

おばちゃんさあ、石けんを昔はシャボンって呼んでいたことは知ってるよね。シャボン――懐かしい言葉だけど、このシャボンの語源はポルトガル語なんだ。エッ? ポリトガリじゃないの、ポ・ル・ト・ガ・ルッ……フランスやスペインの向こうの国よ。

じゃここでシャボンの由来をくわしく簡単にご説明しよう。

今から460年ほど前の天文12年に九州の種子島へポルトガル船が漂着したんだってさ。その船の乗組員が石けんを日本に持ち込んだんだな。それまでの日本の石けんといやあ、米ヌカを布に包んだ「ヌカ袋」だったんだ。

おばちゃんなんかヌカ袋が似合いそうだが、それについてはいずれ紹介するとして、とにかくヌカ袋でホワンホワンとこすっていた当時の日本人は泡がブクブク出る代物にタマゲタことだと思うよ。以来ポルトガルやスペインの物産として導入されたというんだな。で、呼び名もポルトガル語のsabao(シャボー)がなまって? シャボンと呼ばれたんだってさ。

国産石けんの製造がはじまったのは明治6年で、その後、石けん工場が続出したっていうことだが、当時は洗濯の石けんが「洗い石けん」で化粧石けんは「顔石けん」といわれたらしいんだな。それを明治20年代になって花王の前身である長瀬商店が商標を「花王」とし、高級化粧品のイメージ戦略で成功したそうだ。顔石けんが花王石けんよ――。

いかがですかなおばちゃん、風呂屋のオヤジのウンチクもまんざらじゃないでしょ、と自慢したいんだけど、これぜ〜んぶモノの本の受け売りなのよ。ということで、おばちゃんが石けんはみ~んな花王だと思ってんのも、花王が顔石けんの元祖だもん一理あんだよね。だから今度は「花王のライオン石けんちょうだい!」といったって構わないからね。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 
昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2006年6月発行/80号に掲載


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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

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