平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月✕日

2月、テレビは大リーガー・イチロー、松井の球春を報じている。

そこへ湯上がりのご老体が現れた。この方、その昔は明大野球部員だったという。昭和25年プロ野球で初の完全試合を達成したスライダーの元祖・中上英雄(旧姓・藤本)と同期だそうである。

「ホウ、大リーグか。あたしね、昭和9年、中学生だったが、全米オールスターが日本へやってきたときに神宮へ見にいったんだ」
「エッ、あのベーブルースやゲーリックが米たときですか?」
「そう、3番がルースで4番がゲーリック、5番はフォックスだったな。全日本は六大学が中心のメンバーだったが、京都商業の沢村もいたんだよね。そして……」

ウーン、アタシャ思わず身を乗りだしちゃった。伝説のホームラン王・ベーブルースを生で見た人が目の前にいる。プロ野球創設以前の歴史が今、検証されている。

2月、テレビは2・26事件を報じている。この事件を検証された方もいるんだ。時折お見えになる元NHKのアナウンサーだったというご仁で、往年の名アナウンサー志村正順と同期だという。

「あたし昭和11年の2・26事件のとき青学にいたんだけど、雪の中を青山から赤坂まで仲間と見にいったのよ。戒厳令が布告されて、銃を持った兵隊さんが日本人同士で撃ち合いになることに類がひきつっていましたよ……」
と生々しく説明してくれたのである。

いいねぇ、昭和初期の日本の激動期を体験された方によって銭湯のフロントに歴史が実感として甦ってくる。ベーブルースや2・26事件で決起した青年将校の姿が彷佛としてくる――。感激だよ。

どう、若いアンタだって感激するだろ? ウウン、ちっとも……。

 

〇月✕日

日替わりの薬湯メニューを一部入れ替えてみた。入浴剤の魅力は色と匂いになるんだが、どちらかといえば見た目の色合いの方が好かれる要素は大きいようである。

新入浴剤はグリーン系の湯。ちょっと緑が強いかなという感じである。新種を使うと必ずお客さんの反応がある。しかし入浴剤の好みは十人十色ではある。

70半ばと80の常連おばちゃんが連れ立ってフロントへ出てきた。まず70半ばさんがアタシに言う。
「今日のお風呂、とってもいい匂いね。よく温まるし、色も新緑みたいで気持ちよかったわあ」
この方は普段でも「いい風呂ねえ」と言ってくださるんだ。

次いで80おばちゃんの番。この方はすごい。思ったことはズバズバ言う。例えばアタシが「ゆっくり入ってください」と言えば、「あたしゆっくり入ると、のぼせちゃうのよ」とご返事をなさるヒト。だからアタシャ、70半ばさんのホメ言葉に対抗してどんなセリフをほざく、いやのたまうやらと固唾をのんで? 見守ったよ。

「あら、そ~お。あたし、あんな色の濃いお風呂、入る気がしないの、気持ち悪くって……」
そ~ら、おいでなさった。このセリフ、おばちゃんに対する予備知識がなかったら風呂屋のオヤジはがっくりするぜ。

ところがアタシャ、日頃からおばちゃんの毒舌には訓練されちゃってるから、腹も立たないやね。むしろご一緒の70半ばさんが目ぇクルクルしてたよ。

けどねえ80おばちゃんさあ、そう言っちゃなんだけど、もう人生の晩年でしょ。晩節はできることなら「好かれるおばちゃん」になったほうがいいんじゃないの。

エッ、三つ子のタマシイ百までよ、ですって? ウーン。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 
昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2005年4月発行/72号に掲載


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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫


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