平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月×日
70ほどの常連男性氏、ギャンブル大好き人間である。フロントでテレビの競馬実況を見ながらアタシに話しかけてきた。
「ダンナは競馬をやるの?」
「いや、10年ぐらい前までは年中やっていたけど今はやんない」
「昔のことはいいのよ。そう、やんないんだ。じゃ、パチンコは?」
「バチンコはやったことがない」
「そうなの。じゃほかの趣味は? 例えば競輪とか競艇は?」
「そんなもん一切やんない」
「へえ~、なァんにもやんないんだ。あッ、これがあったね」
と、字を書く仕草をした。このヒト、アタシが浴場広報誌になにやら書いているらしいとはご存知のようだが『1010』をくれといったことは一度もない。

「だけど字ィ書いたって面白くもないだろうに。なんにもやんないなんて俺には考えられないよ」
ちょいと首をひねり「なんのために生きてんだろ」と、つぶやくようにいって脱衣場へ入ったが、なるほどねえ。ギャンブル全盛のご時世にパチンコ・競馬の類をいっさいやんないなんてのたまえば、ギャンブルファンは「このオヤジつまんなそうにフロントに座っているだけで、なんのために生きて……」といいたくもなるよなあ。

そこでアタシャ、現在の趣味や道楽について考えてみた。確かにアタシにはなァんにもない。
映画はン十年も見てないし、テレビもニュースとスポーツ以外は興味がない。読書は若いときから好きなんだが、今はもう根気がなくパラパラッと読む程度である。釣り・盆栽は「食わず嫌い」でその味を知らず、ゴルフも昔は「金持ちのやることだ」と見向きもしなかったから縁がなかった。

酒もダメで……じゃない、酒はまことによろしい。ダメなのはカラオケなんである。なにせ歌えないもんだからカラオケは酒席の会話の邪魔になるとさえ思っている。

かといって酒の会話で女性を口説くことなどできようはずがない。相手が一顧だにしてくれないというセツナイ現実に、この世の悲哀を感じて飲んでいる。

とまあグタグタ並べてみたが、今のアタシはお客さんのいうように、なァんにもやんないし、できないんである。

しかしねえ、こんな朴念仁(ぼくねんじん)のアタシでも若いときは結構ギャンブル好きだったんですよ。そこでその昔を振り返り、お客さんにちょいとご説明しましょう。

まずは競馬である。始めたのが昭和33年、三冠馬シンザンのころだから相当に古い。毎週末は馬券馬券だったが、平成に入ってボロ浴場の改築だすべったころんだとせわしない時期があり、なんとなく競馬から離れてしまった。

次にビリヤードがある。これは今のポケットでなく四つ玉の時代である。かなりの期間熱中したんだが、そのわりには腕が上がらず壁に突き当たって飽きちゃった。

そしてマージャンである。これも長い。風呂屋という時間に余裕のない仕事なのによくもまあチーポンやっていたもんだと思う。しかし雀友が年とともに集まらなくなり、自然消滅という形で、今ではパイを握る気もおきない。

ということで、お客さんねえ、格好つけていわせてもらえば、アタシはさあ、ギャンブル的な趣味はもう卒業したんですわ。だから今はなァんにもやんないの。そう理解してくださいな。

ハア? なァんにもやんなくてそれで楽しいのか、ですって? ウーン、ねえ……。アタシャなんのために生きてんだろ――。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2004年6月発行/68号に掲載


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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫


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