平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月×日
よくお寺の話をなさる信仰心の厚い穏やかなおばちゃんが今日は憤然とした口調でアタシにいう。
「さっき帰った中年の人ね、水風呂で水をジャッジャッと流しっぱなしで入ってんの。そいでね、オットセイみたいにもぐってんの。上がっても水を止めないの。お風呂の何杯分も流しちゃってるわよ。もったいないわよねえ」
「ホウ、オットセイですか、流しっぱなしねえ。使わないときは止めてくれるのが入浴のマナーなんですけどねえ」
「そっ、そっ、そのお風呂のマナーがまるっきりないの」

おばちゃん、わが意を得たりと言葉に気合が入ってきた。そして、ここからが問題なのよと、カウンター越しに身を乗り出した。
「そいでね、あたしはあの突き当たりの場所が好きで、空いているといつもあそこに座んの」
「水風呂に一番近いとこですね」
「そう。でもね、オットセイみたいにもぐったり、ザブザブされると水が引っ掛かんのよ。だからいってやったの。あんまり水を流しっぱなしにしないでよ。もったいないし、水が掛かるからって」
「そうですか。水を無駄に使わないように注意してくれんのはありがたいですね」
「でしょ。そしたらその人『水が掛かるんだったらあんたがあっちに行きな』って、すごいのよ。ああいう人はいずれ水バチ(罰)が当たるわよ、水バチが……」

水バチねえ。信心深いおばちゃん。感謝の気持ちがないとバチがあたると力説された。
そしてアタシに一部始終を報告して気分が直ったとみえ「文句をいってごめんなさい」とお帰りになったが、おばちゃん、ほんとだよね。湯水は上手に使い、楽しく入浴してほしいですなあ。

〇月×日
開店早々3人連れの男の子が入ってきた。小学校3年生である。
「おう、早いな。学校休みか?」
「ウン、土曜日だもん」
ゆとりある学校教育か。しかし休みが増えても、その分、塾通いやゲームセンター通いの姿を見ると、もっとおおらかに羽を伸ばせねえものかと思わなくもない。
今日の子供は連休の一端を銭湯で裸の付き合いをしようってんだからこれはもう大歓迎さ。

フロントでそれぞれ200円を出した。20円のお釣りである。
「ホラッ、20万円のお釣り」
「うわぁ、20万円だって」
お釣りを渡すと大抵の子は手の平で受ける。これがごく自然。しかし中には親指と人さし指でもらおうとする子がいるんだな。渡すほうが2本の指で出すんだから同じ格好で受け取ることはない。今日の一人がそれだった。

こんなときアタシはいつも子供の指を広げ、手の平で受けさせる。
「おじさんがこうやって渡すんだから、手をこう開いて……そう」
子供はすぐ納得してくれる。アタシャ満足よ。はばかりながら児童教育のつもりでいるんだ。

しかしねえ、大人でも時として2本の指で受け取る人がいるんだよなあ。指と指との不安定な受け渡しだから硬貨がこぼれることもある。こぼれりゃアタシャあわてて「スイマセン」だ。
フロントは半数近い人に釣り銭を渡すから、お客さんに手を開いて受けていただくことは些細な問題だが大事なんだよね。

だからといって大人の指を開き「あんた、こう受けなさい」ともいかねえしなあ。
そこでアタシはこのような場合「この方は小さいときに銭湯で訓練されなかったからである」と思うようにしてるんだ。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2004年2月発行/66号に掲載


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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫