平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月×日
夕方のフロント。常連おばちゃんが白い小箱を差し出された。
「これ、もらいものなんだけど、よかったら吸ってください。天皇陸下のタバコ……」
「エッ、天皇陛下の?」
白い小箱の中央に「賜」の文字が書かれてある。中には菊のご紋がついた細身のタバコが10本。
「これ、戦時中に陸下が兵隊に賜った『恩賜(おんし)のたばこ』でしょ?」
「あたし、よくわかんないの」

アタシャ、第二次世界大戦が終わったときは、まだ小学生だったが、もう熱烈な軍人志望だったんだ。で、恩賜のたばこを軍人の気持ちでうやうやしく頂戴したよ。そして小声で軍歌だ。
♪恩賜のタバコをいただいて~ 明日わぁ死ぬぞと決めた夜わぁ♪
古いねえと笑わないでよ。当時のアタシらの世代はみ~んな似たようなもんだったんだから。

さらに後刻、脱衣場で一服されていた80歳だという元兵隊さんの方に1本差し上げたんだ。
「ホウ、懐かしいねえ。オレ兵長だったんだけど、軍隊では1本を3人で分けて吸ったもんだ」

元下士官ドノは往時をしのんで、うまそうにフーッ。そして元軍国少年と軍隊談義だ。アタシも軍人気分。ところがそばにいた40代の男性がいとも簡単に言ったよ。
「それ、宮内庁の……売店で売ってんですよ」
「エッ、売店で売ってんの?」
オイオイ、せっかく陛下から賜ったタバコだとありがたく頂戴してんのに、そこらの自動販売機のタバコと同じに扱われたんじゃ気分ブチ壊しじゃねえか。あ~あ。

とまあ嘆いたんだが、戦後58年。いまだに「恩賜のタバコ」だなんて、アタシャいつになったら軍国少年を卒業するんだろ。

また、終戦記念日がやってきた。

〇月×日
時折お見えになるご老体。この方のタバコ談義がなんとも面白い。話はまず1ヵ月前に遡る。

「ご主人ね、あたしタバコを止めたんです。まだ3日目だけど。タバコを嫌いになる貼り薬があってね、それを背中とかお腹に貼っておくと吸わないですむんです」
とフロント前でシャツをまくって体に貼ってある膏薬のようなものをわざわざお見せになったんだ。

そして今日――。
「大正5年生まれだと、エート、いくつになるんですかねえ」
「大正5年ですかぁ。今が平成15年だから……。86歳ですか」
「86ねえ。86はもう過ぎたような気がしたなあ」

これがイントロ。そして本題に入った。
「ご主人ね、あたし1ヵ月ぐらいタバコを止めたんだけどダメですね。だんだんイライラしてくんのね。そのうち、やたらと怒りっぽくなって家の者に当たり散らすようになり、孫にまで怒るようになっちゃった。孫にまでですよ。ちょうど麻薬の……え~と……」
「禁断症状ですか?」
「そうそう、その禁断症状で、これはあたしが狂ってんなと思ってタバコを一服吸ってみたの。そしたらスーッとイライラが収まっちゃった。だから、また吸うようになっちゃったんだけど……」

どうやら先日の禁煙膏薬は効きめがなかったようですな。
「1日何本くらい吸うんですか」
「20本ぐらいだけど、この先タバコで死んだってしょうがないや」
ウーム、米寿にして決死の覚悟で愛煙家に復帰ですかあ。

「考えると、タバコはハタチから吸ってんでしょ。ハタチだからエ~ト、何年かな。ご主人、大正5年生まれはいくつでしたっけ?」

またイントロに戻った――。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2003年8月発行/63号に掲載


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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫