平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月×日
いやあ驚いたなア。そして心配しちゃってねえ、その上、感心もさせられちゃって、フィニッシュは「これでいいのかいな」と思っちゃった。エッ、なんのことだって? まあ聞いてください。

まずは夕方のフロントだ。小学生の女の子2人がよちよち歩く幼児を連れて入ってきた。
「小学生2人と赤ん坊です」
「小学生2人? この子のお母さんは後から来るの? 」
「いえ、お母さんは来ません。あたしがお風呂に入れるんです」
「えっ、オマエがこの子を……」

アタシャ絶句しちゃった。女の子は4年生で幼児は1歳半だという。10歳の子供が1歳の赤ん坊を銭湯に入れる――。驚いたなア。

ひと昔前ならさして驚かなかったであろう。どこの家庭でも家族が多かった。小学校高学年になれば、忙しい親に代わって幼い弟妹の面倒をみるのは当然という気風が培われていた。

しかし、少子化の現代では子供は10歳でも母親に体を洗ってもらっている。親も子もそれが当たり前だと思っている。そんなご時世になんと10歳で母親をやろうってんだ。エライねえという前に、どうにも心配が先に立つわい。

あのねえ、銭湯は家庭の風呂と比べたらバケツとプールほども違うんだよ。赤ん坊がタイルの上で転んだらどうするの、湯船で手が滑ったらどうするの、ちゃんと洗えるかい? よくあっためないでカゼでもひかせたら大ごとだよ。

「ダメだ。オマエらには無理だ。お母さんを呼んできな」
アタシャ断固として反対した。ところがところがだ。4年生は反対されてもたじろがない。アタシの拒否権など意に介さない。
「大丈夫です。この子はイトコなんだけど、お風呂がないからいつも銭湯なんです。あたしは何度も入れてんですから大丈夫です」

あどけなさの残る顔が自信満々である。ウーン、なあ……。アタシャ負けました。で、「しっかりみるんだぞ」を繰り返し、入浴を許可したんだ。でも心配だなあ。

ご一行様が脱衣場へ入った。常連おばちゃんたちが一様にびっくりし「大丈夫なの?」と懸念する声が聞こえてくる。

そして数分。4年生ママがすっとんきょうな声を上げた。
「あっ、オシッコしちゃった」
おばちゃんたちが「あらあら、モラシちゃったわ」
脱衣場が急ににぎやかになった。そ~ら始まったぞ。
アタシャ家の者に緊急指令だ。
「赤ん坊ご一行を監視せよ!」
ま、銭湯は個室の内風呂と違って、周囲に多くの目があり、皆さん温かく見守ってくれるから心配なかろうとは思うのだが。

10分経った。湯上がりのおばちゃんがフロントでいう。
「あの子しっかりしてるよ。大したもんだ。あれじゃ心配ないね」
そうかヨシッ――。アタシャ確認に出向いた。ハア? 女湯へ入んのかって? 当たり前ですがな。アタシャこの道50年のプロ。男も女もありますかいな。さくら湯丸の船長としてお客さんの航海の安全を守るのは責務ですがな。

4年生ママは手慣れたもんだった。体を洗い、湯船に入れて……キビキビと動いている。そんじょそこらの若い母親に見せたいほどだ。ウーン立派。感心である。

そこでフィニッシュに参ろう。この子たちは、うちから1kmあまりも先のY町から赤ん坊を「自転車に乗せて」やってきたという。

幼な子を10歳の小学生に預けて自転車で銭湯へ行かせる――。親は心配しないんだろうか。放任なのか。たくましい子育てなのか。

これでいいのかいな――。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2003年6月発行/62号に掲載


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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫