平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月×日
中学3年の男の子をいまだにケン坊と呼ぶ。呼ぶほうも呼ばれるほうもさほど違和感はない。何しろ母親の胎内にいるときからの常連なんである。毎日、姿を見ている。よちよち歩き出した、幼稚園に入った。小学生になった……。

15年間、成長を目の当たりにしてきた。今はもう1m70cmはあるだろう。声変わりもしたし、生意気な口もきく。しかし明るく素直な性格は少しも失われていない。両親のしつけのよさである。

1月に入るとケン坊が受験だという。
「どこ受けるんだ?」
「S高校」
「大丈夫か?」
「まあね……」
アタシャ、フロントのカレンダーに2月の受験日を○で囲んだ。

受験数日前、お母さんが言う「もう心配で心配で……」。
お父さんも言う「あいつは普段が普段だからなあ」。

受験日、ケン坊は普段通りにやって来た。
「どうだった?」
「まあまあだな」
「そうか、発表はいつだ?」
「×日……」
またカレンダーに〇を付けた。

そして今日、発表である。アタシャ、期待と心配の人り交じった気持ちでケン坊を待っていた。
夕方、いつも通りケン坊はやって来た。いや、いつも通りではなかった。ちょっと勇んでという感じだったか。つかつかとフロント前に立つや、「おじさん!」と弾んだ声を出し、カウンターを手でバシッと叩いた。
「やったかッ」
「ウン……」

ヨシッ! ケン坊、でかしたぞ! アタシャ無性にうれしくなった。わが子が合格したような感激が走った。子供だと思っていたケン坊がやけに頼もしく見えた。サクラサク――。アタシャ、カレンダーにしっかりと◎を付けた。

ケン坊が高校生になった――。

〇月×日
フロント前のちっちゃなロビーに掲示板を掛けておく。大相撲や競馬のG1レースなどデーゲームの結果をちょいと書いたりするんだが、書けばお客さんもそれなりに見てくれるもんだ。「オッ、朝青龍負けたのかあ」といった調子で、ささやかな話題の提供にもなっているようだ。

今日は日曜日。競馬のメーンレースの結果をメモしておいた。

夕方、30代のご夫婦がお見えになった。ご亭主が掲示板の前にたたずむ。ジッと見ている。入浴料をお払いになった奥さんがそんなご亭主にすり寄った。掲示板には配当も書いてある。
「ねっ、ねっ、どうだったの」
「ウン、馬連は取ったけど……」
「ウマレンって、こっちのほう? それでいくら買ったの?」
「ウン、こっちが1000円で、そのほか2000円遣った……」

「1000円? 1000円だといくらになんの?」
「ウン……」
ご亭主、気のなさそうに口ん中で何やらブツブツ。と、奥さん、フロントを振り向いた。アタシに聞いたほうが手っとり早いと思ったようである。的中馬券で手元にいくら入ってくるか――、ウーン、気持ちわかりますなあ。

「ダンナさん、1000円だといくらになんですか」
「1060円の配当だから1000円で10600円ですかな」
「10600円……。ウワァ、スゴイッ! 1万、よかったわぁ」
奥さん、大仰に喜んじゃった。もう、もらったつもりのようである。対照的なのはご主人、なんとなくシュンとしちゃってる。あ~あ、なまじ2人で掲示板を見たばっかりに、オレの小遣い……。ウーン、気持ちわかりますなあ。

ツミな掲示板だ――。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2003年4月発行/61号に掲載


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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫