平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月×日
1ヵ月ほど前だったな。夕方のフロントへ2人連れの女性が現れた。30代かな? 入浴ではない。
「私たちY小学校の教師で3年の担任なんです。実は今年から『総合』という時間ができまして」と切り出された。「総合」とは従来の国語・算数等の学科の枠を越えて学習する時間で、今回はグループ別に食品会社と銭湯を見学することになったという。

そこで当湯へ来て銭湯を見せてもらい、子供たちがアタシに質問をしたいというのである。

ホホウ、いいねえ。ムズカシイことはともかく、銭湯が小学校の学習対象になるなんて大歓迎よ。

「で、風呂はどうすんの?」
「お風呂はお店を見せてもらった後で、生徒の希望があれば、あらためて入れてもらうと……」
「先生ね、そりゃあ逆だよ。まず子供を風呂ン中へ放り込んで、話はその後さ。風呂へ入りや子供が喜ぶことは間違いないんだから。銭湯の勉強はまず入ってみることだ。入んなくちゃわからんよ」

アタシャ銭湯が家庭風呂の比じゃないことに満々たる自信を持ってるから、ノーガキよりまず風呂ン中へ放り込めとリキ説よ。

先生方「そうですかあ」とちょいと思案するふう。先生ねえ、総合学習でしょうがな。察するに先生は銭湯に入ったことがねえな。

「それではまた子供たちと相談してご返事します」とお帰りになったんだが、1週間後、アタシの主張通り、入浴を含めた学習にしますと、イロよい返事が来たよ。

そして日程が決まった。学習は開店前の2時間である。

ということで今日、先日の女の先生に引率されて13人の児童がやってきた。男の子8人に女の子5人である。そのうち銭湯に入ったことのある子が5人だったかな。

1時。いよいよ風呂屋のオヤジの授業(?)開始である。アタシャ前日に子供たちへ配布する「入浴マナー・銭湯の特徴」などの簡単な資料を作っておいたんだ。

話はまず「銭湯は町の温泉である……」から始まった。子供は素直に聞いてくれる。活発に答えてもくれる。いい雰囲気だ。

講義(?)の次は子供たちの質問の時間だ。「いつから銭湯を始めたか、お客さんは何人ぐらい入るか。燃料は、掃除は……」といったたぐいで、あらかじめ質問事項を書いてきたノートを見ながら聞いてくる。一生懸命だから答えるほうも楽しい。先生の気分だよ。

1時間目の授業(?)が終わったらいよいよ男女に分かれて体験入浴の時間である。今教えたばかりの入浴マナーについての実践指導である。子供たちはアタシのコーチに楽しそうに反応してくれる。喜々として入っている。先生は心配そうに見守っている。

「先生も一緒に入ってみたら?」
「いえ、あたしは……」
「遠慮するこたあないよ」
と言ったものの、ゴッツイ風呂屋のオヤジがウロウロしてたんじや、先生に裸で入浴学習をしろったって、こりゃ遠慮するよな。

子供たちが上がってきた。「ああ、気持ちよかった。楽しかったなあ」。異口同音に言う。ウン、そうか、そうか――。風呂屋のオヤジは大満足である。

ところで、みんながワイワイ入っている中で、2人の男の子がうらやましそうに見ているんだ。
「オマエたち、入んないのか」
「ウン、お母さんが……」
ウーンそうかあ、お母さんのブレーキがあったか。そういえばこの子たちの母親も銭湯を知らない世代だったな。ヨシッ、今度はお母さん方の総合学習だ――。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2003年2月発行/60号に掲載


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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫