平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月×日
「今日、会社で飲み会があったんだけど、エライ人が一緒だとなんか、こう、酔えないんですよね。それで仲間と2次会で飲み直してきたんだけど、今度は飲み過ぎて酔っ払っちゃった」
といってフロントで一つフーッと大息をついたのは40過ぎの独身男性氏。普段は無口のほうだが今日は血色よくご入来のせいか舌の回転もいたって滑らかである。9時を回っていた。

「そう、おエラ方が一緒じゃ気ィ使っちゃうよね。風呂のことわざに『風呂と客とは立つがよい』なんて言葉もあるんだけどね」
「エッ、風呂で立つ?……」
四十男性、目をクルッとした。

「オイオイ、ヘンなこと考えないでよ。つまりね、風呂を沸かすことを、“風呂を立てる”っていうじゃない。それと宴会なんかで来賓やエライ人がゆっくりしていると周りが気を使って盛り上がらんでしょ。今日のアンタ達の宴会みたいにね。だからおエライさんは程々に席を立ったほうがいいっていう格言、ことわざ……」
「ああ、そういうことですかあ。ヘエー、“立つ”ですかあ」
そういうことですか、といいながらもご本人、何やら「立つ」がお気に召したようである。

「ま、そんなことより、酒が入っているときは風呂はサッと切り上げたほうがいいよ。それと、もひとつ『水をひと口飲んで湯に入るとのぼせない』っていうことわざもあるから、酒を飲んでるときは水分を取るといいんじゃないの」

「そうですかあ、水を飲んで、立つがよい、ですね」
ニヤッと笑って脱衣場へ向かったが、あのねえお客さん、アタシのいってることがわかったの? ヘンなカン違いしないでよね。

それにしても、フロントの浅薄な知識は、相手にも薄っぺらにしか伝わらねえもんだな。

〇月×日
近所のアパートで独り住まいのおばちゃん、もう80かな。数年前引っ越してきたときに、区役所への手続きなどでちょいとガクのあるフリをして相談にのって以来、何かとアタシに聞きに来るんだ。例えば「こういうときの手紙の書き出しは?」とか、「アパートの更新の仕方は?」といった具合。

こんな質問もあった。
「部屋の窓からいつもポツンと光っている星が見えるんだけど、あの星はなんていうんですか?」
これには参ったよ。だってね、アタシャ夜空なんてネオンより上は見たことがねえもんな。
「星ねえ、北斗七星か北極星なんすかねえ。オットセイは夜空にいないし……」

今日は香典のお尋ねだった。
「田舎の一周忌に呼ばれたんですけど、お塔婆(とうば)料の上書きはどう書いたらいいんですかねえ」
「塔婆は卒塔婆(そとば)料でいいんじゃないですか」
「“おとうば”料じゃなくて“そとうば”? “オ”じゃなくて“ソ”ですか?」

ウーン、オかソか? そういわれると自信がない。で、一応モノの本から確認して「卒塔婆料」と書いて差し上げたんだけど、おばちゃんはアタシのいいかげんな知識に「いつも正確で」と喜んでくれるんだ。くすぐったいけどね。

アタシね、おばちゃんに喜んでもらえるうちは知ったかぶりを通そうと思ってんだ。だってさ、おばちゃん、アタシが説明すると、分厚いメガネの奥からジーッとアタシを尊敬のまなざし(?)で見てるもん。ウン、このぶんでは尊敬が愛に変わるというドラマチックな展開に……、オイオイ、なるわけねえだろ、腰の曲がっため80おばちゃんだぜ。でもさァ……。

おばちゃん、これからも難問を遠慮なくもってきて。風呂屋のオヤジは精一杯、期待にこたえるからね。“アイ”だもんな――。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
銭湯マップはこちら


2001年12月発行/53号に掲載


銭湯経営者の著作はこちら

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫