平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月×日
近所のNさんのおばあちゃんが亡くなった。昨夜、自宅の風呂場で倒れられたという。

先日のニュースでも「高齢者の入浴中の死亡事故が年間1万人以上……」と報じられていたが、快適であるべき入浴が大きな事故につながるなんて、アタシャ毎ンち「健康を売る湯づくり」をしながら、胸がキューンとするよ。

アタシね、高齢者が入浴中に亡くなるという原因の一つに「孤独な入浴」があると思ってんだ。
「風呂が長いので、のぞいてみたら倒れていた」という言葉をよく聞くが、こんなとき、だれかが一緒に入っていたら体調の変化にすぐ気がつくハズだ。気がつきゃ対応もそれなりにいくハズだ――。

けどなあ、小っちゃな内風呂ってえのは家族が一緒に入るには手狭過ぎるんだろう。それと核家族と言われるご時世に「年寄りの背中を流してあげよう」という気風も薄くなっているのかな。

なんにしても高齢者にサポーターがいないことは危険極まりない。特に独り住まいのお年寄りにはそれを痛感するんだ。

そこでアタシャ、先般、当湯で起きた事例をもとに「年寄りを孤独にするな」とエラソーに一席プツことにしたんだ。聞いてね。


「Bさんがおかしいわよ」と女湯からフロントにご注進だ。さっそく緊急出動。脱衣場の椅子にもたれて裸のままグッタリしているBさん。80半ばまで独り住まい、10年来の常連さんである。

目を閉じ、血の気が失せた顔で意識もない。しかし体は十分温かい。ウン、大丈夫だ。アタシャそう判断した。しかし、そう判断してもやはり気はせく。119番へSOSを入れるや、返す刀で(?)「おばちゃん! おばちゃん!」とほっぺをパシパシ叩いた。おばちゃん、アタシの空手チョップ(?)が痛かったんであろう、うっすら目を開けた。ヨシッ意識回復だ。さあ今度はカミさんの出番。スッポンポンのおばちゃんを長イスに寝かせ、シャツにパンツに腰巻き(?)に、毛布にタオルにエトセトラと大忙し。そしてありがたいことには脱衣場にいた数人のお客さんがカミさんの手伝いをしてくれたんだ。持つべきものは“銭友”よ。

ほどなく救急車がやってきた。おばちゃん、血色もよくなり「病院はいいわよ」と言う。しかしそうはいかない。なにぶんにも高齢。医者の診察は絶対に必要だ。

で、救急車に乗ってもらったんだが、病院へは付き添いが必要である。だがおばちゃんは独り住まい。近所に身内はいない。さてだれが行くかでカミさんとジャンケン(?)をした。アタシがチョキでカミさんがグー(オイオイ)。

おばちゃんにはA市に娘さんがいる。アタシャ普段、高齢の人には連絡メモを取ってあるから、病院へ行く前、娘さんに一報を入れたんだ。そしておばちゃんと一緒にビーポーピーポーと出発さ。

診断結果は「貧血」だった。おばちゃん、病室のベッドで軽口も出るようになった。もう大丈夫だろう。「娘さんが来るから」と言ったら「あらそう、じゃお風呂屋さん帰っていいわよ」とかるーくおっしゃる。おばちゃんねえ、アタシャ随分、心配したんですぜ。

2時間後、娘さんがフロントへ現れた。入院の必要がないので連れて帰ってきたそうである。そしてしみじみと言われたよ。
「アパートのお風呂で倒れたら、だれも気がついてくれないから、恐らくダメだったと思います」

そう、そうなんである。銭湯は大勢の目がある。特にお年寄りにはいたわりのまなざしがある。つまりサポーターが多いのである。したがって銭湯では「のぞいてみたらもう……」はまず起きないとアタシャ思ってる。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2001年8月発行/50号に掲載


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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫