平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月×日
フロントで「全国浴場新聞」というアタシらの業界紙を眺めていたら「リップサービス」と題したコラムに次のような一文が載っていた。
「(1)いらっしゃいませ、(2)かしこまりました、(3)少々お待ちください、(4)申し訳ございません、(5)恐れ入ります、(6)お待たせ致しました、(7)ありがとうございます。これらの言葉は接客7大用語といってお客様に対して絶対使わなければならない用語とされている――」

客商売なら大方がご存じの用語であり、この言葉をきれいに使えると客の耳にはまことに心地よく響くもんだ。

ところがアタシャ客商売のハシクレでありながら言葉がぞんざいきわまりない。そこであらためて基本習得とばかりフロントでベンキョウしてみようと思った次第。

まず基本のうち「いらっしゃいませ」と「ありがとうございます」は日常語だから問題はない。「申し訳ございません」「少々お待ちください」「お待たせしました」も風呂屋のオヤジにしてはちょっと上品な感じだが、はしょって使えば使えないこともない。お客さんもそう違和感はないだろう。

問題は「かしこまりました」に「恐れ入ります」の2つだ。

「ダンナッ、シャンプーちょうだい!」
「ハイ、かしこまりました」
「エッ、カシコマリ……? ちょっとォ、ダンナ、熱があるんじゃないの?」
多分、こうなる。

「オヤジさんはよく働くねえ」
「ハア、恐れ入ります」
「なんだって? 今日は機嫌が悪いの?」
これも多分こうなる。

というわけで、ベンキョウの結論は、下町のがさつな風呂屋のオヤジが「かしこまって、恐れ入っても」サマにならんということであり、ガラに合った言葉こそ接客用語の最も大事な基本ではないかと自覚したんである。

お客様、いかがでしょうか――。

〇月×日
もう80はとうに越しているだろうと思われるおばちゃん。20年来の常連さんだが、最近ちょっぴり老いが目立つようになった。しかしこの方の「老い」はなんとも明るいんだな。今日もニコニコとフロントへお見えになった。

「コンニチワ。あたしこのごろ来なかったでしょう? うちで入っていたのよ」
「やだねえ、昨日来たじゃない」
「あらそう、そうだったっけ。しばらくぶりだと思ったけど、昨日来たの? そう、アッハッハッ」

少々の間違いはアッハッハッと笑い飛ばして屈託がない。
「えーと、お風呂、今日はタダじゃないでしょ?」
「ええ、タダは敬老入浴日だから明日ですね」
「明日なの。じゃあ今日はお金がいるんだ。そうよねえ毎日タダにしたんじゃ、お風呂屋さん困るわよねえ。アッハッハッ。えーと、お風呂は200……いくらだっけ?」
「400円ですよォ。おばちゃん、いつも払ってるじゃない」
「そっか、そうよねえ。200円で入れるわけないもんねえ。アッハッハッ。あたしこのごろボケが出てるみたいなの。娘にもボケてるって怒られるの。おたくはまだ若いからボケなんかないでしょ?」

アタシ65歳、それがねえ……。
「いやあ、アタシだって忘れっぽくてしょうがないですよ。おばちゃんはそれだけ元気なんだからまだまだ大丈夫。だけど、おばちゃんは80になったんですか?」
「あら、やあねえ。女性に年を聞くもんじゃないでしょ」

ウッホッ、ぜんぜんボケてない。人間、年をとれば「老化」は避けられない。そして老化現象が現れるに従い、暗くなっていく人が多いんだな。そんな中でおばちゃんのように明るいと会話のズレもむしろユーモアにさえ聞こえてくる。アタシもおばちゃんを見習って明るく老いたいもんだよ。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2001年2月発行/48号に掲載


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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫