平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月×日
久しぶりに電車に乗った。何せ風呂屋は湯を沸かしひたすら客を待つだけの自営業、おまけにアタシが出無精ときているもんだから電車を利用することはホント少ないんだな。そこで今日はおのぼりさんのような風呂屋のオヤジのフロント日記ならぬ乗車日記を書いてみた次第。

昼過ぎの都営浅草線はすいていた。シートに座り、なんとなく周囲をキョロキョロ見回したら中年のおばちゃんにジロッと見返されちゃった。ウッホッ、こりゃおっかねえ。あわてて目を閉じ腕を組み瞑想にふけるふりをした。車内放送が退屈そうに流れてきた。

この浅草線は品川から先は京急電鉄になる。つまり官から民になるんだな。ここでアタシャ面白いことに気が付いた。お上と民間の違いというか、営業姿勢の差である。

都営の放送は声が小さく、おまけに鼻にかかっている。ポソポソと眠くなるような雰囲気だった。
「フンギワア(次は)フェンガクジイ(泉岳寺)フェンガクジイ……」
これじゃ混雑しているときはまず聞き取れまい。空いている車内でも聞き直したくなるほどである。慣れないアタシャ、乗り越さないように耳をそばだてていたよ。

ところが泉岳寺を過ぎ品川にさしかかるや急に言語明瞭、声量大のアナウンスに一変しちゃった。
「次は品川ッ、品川ですッ」
これは鮮やか。

オッ、担当が代わったな。ウン、今度は京急の番か。なるほどさすがはお客さん本位の民営だ、知らせようとするサービス精神がピンピン伝わってくるわい。アナウンスはこうでなくっちゃ。これが前段の都営だったらどうだろう。おそらく例の眠気を誘うような鼻声で「フンギワア(次は)フィンナガワア(品川)フィンナガワア……」とくるぜ。車内放送は子守唄じゃねんだよな。おかげでおのぼりさんのアタシャ、なんとか目的地へたどり着けたよ。

〇月×日
小学校5年の男の子がタオルを頭にのせて出てきた。
「オイお前よ、なんでタオルを頭にのせてんだ」
「なんでって? 大人がやるからまねしただけ。こうやると銭湯に入った気分になるじゃん」
なるほど。たしかに男性が頭にタオルをのせての入浴風景はよく見かける図だが、これにはちゃんとした理由があるんだ。この際、モノの本を繰ってご説明とまいろう。

――江戸時代から続いていた湯気を逃さないための天井の低い「ざくろ口」の浴室が、明治に入り現在のような天井を高くした「改良風呂」という様式に変わったのだが、従来のざくろ口は湯気が充満して頭までよく温まったのに、改良式は湯気が高い天井まで上がってしまうので頭が寒くて困り、それで手ぬぐいを湯に浸して頭にのせるようになった――となっているんだ。いうなればダテや酔狂ではなく必然性なんである。

おわかりいただけたかな。エッなんですって? 頭にタオルはわかったが「ざくろ口」がわからん?

ウーン、なるほどねえ。じゃまたまたこの際ということで、もひとつウンチクをご披露しますか。

つまりね、ざくろ口ってえのは湯気を逃さないために浴室の入り口が極端に低くなってんだよね。その低い入り口からかがんで入る姿がちょうど蛇に呑まれるようなので「蛇食ろう口」、それがなまってざくろ口――。あれっ疑わしそうな目つき、納得してませんな。けどね、モノの本にはこう書いてあんです。ま、この際ということで信用してよ。

ところで、現在の銭湯では頭が寒いと感じる人は少ないよね。しかし頭にタオルのスタイルは年中お目にかかる。これはもう長年の風習からくる「銭湯ファッション」のひとつになってんじゃないかな。とすれば小5坊主の「銭湯に入った気分がする」ということはまさに正解ってわけだ。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
銭湯マップはこちら



2000年10月発行/46号に掲載


銭湯経営者の著作はこちら

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫