平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月×日

「またください……」ボソッとおっしゃる。毎日見える30前後の男性で、月初めに1カ月分の共通入浴券を必ず購入なさる。常連さんにはめずらしく、いたって寡黙なお人である。
そこへ現れたのが、これまた古い常連さん。こちらは60を超しているが、およそ寡黙とは縁遠く、ツバ飛ばしてしゃべりなさる。

アタシが無口な青年に渡す入浴券を横目に見て、「何でぇそれっ?」「入浴券よ。知らねえの? アンタも買う?」「そんなもんいらん。それより今日の中山の10レースよォ……」

この人、ヒトの話をあまり受けない。ご自分の思っていることだけをペラペラしゃべり、さっさと風呂へ入ってしまう。

それにしても十年来のお客さんがいまだに入浴券を知らないとは……、PR不足なんですかねぇ。

共通入浴券――アタシらの本部である東京都公衆浴場組合が、昭和44年以降毎年発行し、各浴場の店頭で販売している。どこで購入しようとも、ご本家傘下の都内全浴場、1500余軒で共通に使えるのがミソ。
「うちの主人は小銭を持つのが嫌いなので……」という奥さんがいらっしゃるように、硬貨をジャラジャラと持ち歩く煩わしさがないのも2つめのミソかな。

ところで、この入浴券てえのは江戸時代にもあったんだ。モノの本にはちゃんと書いてある。当時は「羽書(はがき)」と呼ばれ“銭湯へ羽書で行くは品がよし”なんて結構うけていたらしい。先日、組合の会合で「江戸時代の湯屋にあった羽書って知ってるかい?」とわがご同輩にきいたら、「ハガキ? 知らねえなあ、番台の娘に出したラブレターか」だと。勉強不足だよねぇ。

〇月×日

「ハーイ、コンバンハ……」。いつもこのあいさつで月に2、3回ほど見えるイラン人の男性。30半ばになるのかな、見えはじめて1年余りになる。達者な日本語をあやつり、入浴マナーも日本人と変わらない。190cm近く、100kg以上に見える巨体、おまけにやたらと毛深い。しかし、なんともやさしい物腰なんである。

夕方、いつものように湯道具のカゴをぶらさげ、入り口の自動ドアをくぐるように現れなさった。そして、例のとおり「ハーイ……」となるかと思ったら、ロビーの壁を見てたたずんだ。

壁には「12月22日、柚子湯、老人子供無料」のポスターがはってある。それをジーッと見ている。「字も読めないのに何してんだろ。ユズの絵でも眺めてんのか、ならばひとつご説明を……」と、おせっかいなアタシはフロントを軽い気持ちではい出した。
「12月22日が柚子湯なの。ユ・ズ・ユッ!」
「ハーイ、ワカリマス。イマ、ヨミマシタ」
「エッ、日本語読めんの?」

アタシャ半信半疑。ところがガイジンさん、ポスターの字を指さしながら、「ハーイ、ユズユ、ロージン、コドモムリョウ」とスラスラいくじゃないか。それも漢字だぜ。アタシャ正直、びっくりしたよ。
「ウ~ン、ほんとに読めんだねぇ、たいしたもんだ」アタシャ正直、感心したよ。そこで「たいしたもんだ」を、もひとつ加えた。

そしたらミスターイラン「ハーイ、ヨメマース」と赤ら顔の高い鼻をさらにピクッ! と高くし、そのまま料金払うのを忘れて脱衣場へ入っちゃった――。ちなみに今年の柚子湯は12月22日です。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
銭湯マップはこちら


『1010』17号(1995年12月発行)に掲載


銭湯経営者の著作はこちら

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫