平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月×日

脱衣場から中年男性の会話が聞こえてきた。「あ~あ、さっぱりした。風呂はいいねえ」
「ほんと、360円でこんなにいい気分になれるんだから……」

フロント泣かせのセリフである。感激の極みである。風呂屋稼業40年、ただひたすら「いい風呂だった」というお客さんの一言に生きがいを求めてやってきた(キザですかなあ)。

ところで、入浴料金360円は現在のお客さんにとって高いんでしょうかねえ。確かに、不景気風が吹き荒れるこのご時世。「親子3人で1000円札が消えてしまうわい。高いにきまってらあ」と簡単に片付けられてしまいそうですが、アタシのいいたいことは、つまり、その~う、価値観としてなんですよ。「銭湯での湯浴み」に360円の値打ちがあるかないかってことなんです。

昨今、風呂屋は一生懸命なんです。広い空間にさまざまな、健康とやすらぎの機能を導入し、家庭の風呂では味わえない「湯の楽しさづくり」に日夜、心をくだいているんです。

昔、といっても現在の入浴料金体系が始まった明治後期ですが、当時はフロ銭とおソバ屋さんの「もりかけソバ」の代金がほぼ同額だったんです。たとえば、明治10年がともに3銭、大正2年が同じく5銭ってね。ところが、大正末期になって、誰がどうしたのか、フロ6銭に対してソバ10銭、といきなり2ストロークほどリードされてしまったんですな。ま、「食わなきゃ体はもたんが、アカじゃ死なない」って寸法なんでしょう。それ以降ずーっとストローク差が開いて、ダブルスコア以上なんて時期もあったんですが、現在はかけソバ500円ぐらいですから、ワンストローク差といったところですね。

いま、フロントで考えてんです。コーヒー1杯がだいたい300~500円、湯上がりに、ものの30秒ほどでスーッと飲んでしまう缶ジュースが110円。ひるがえって当方、湯水を存分に使っていただき、のんびり、ゆったりご入浴いただいて360円――。

アタシ、「360円のぜいたく」なんてリキんでるんですけど、いかがでしょう。

〇月×日

 脱衣場のテレビが故障した。四六時中働きづめなので、たまには休みたくもなろう。で、主役が有線放送になった。この有線放送、チャンネルの操作等は無論フロントの業務であり、いろんなジャンルの歌をあれこれサービスしなければならない。

しかし、ジャズを流していたら、「ご主人、演歌にして」。ヒマなもんで静かな雰囲気を、と柄にもなくクラシックを流してみれば、「オヤジさん、なんだかわけがわからん。エンカがいいな」。なんといっても、演歌がダントツ。やはり公衆浴場なんである。

ところが、たまには変わった方もいらっしゃる。「ポピュラーをかけてください。演歌はあまり好きじゃないんです」

これ、最初にいわれたときは、ちょっと戸惑ったな。アタシャ、根っからの音痴で、ポピュラーがどんな歌かもようわからんかった。しかし、わからなくてもお客様のリクエストにお応えするのがフロントの責務。そこで440種類のチャンネル表を指でたどりながら、え~と、ポピュラー、ポピュ…と、ポッ、ポッ、ポッ…ハトポッポ……。

ま、こんなアンバイだった。おかげで今は、だいぶ慣れたがね。とにかく有線放送は脱衣場に欠かせない舞台装置である。そして今日は主役だ。さ~てと、どのチャンネルを回そうか――。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
銭湯マップはこちら


『1010』15号(1995年8月発行)に掲載


銭湯経営者の著作はこちら

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫