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銭湯の歴史日本編 5
江戸の銭湯は混浴



資料写真  江戸の銭湯は[入(い)り込(こ)み湯」といわれ、当初より男女混浴です。これは、江戸末期まで続きました。採光も何もなく、ざくろ口の中は暗く、風紀を乱すものも少なくなかったのでしょう、何度か禁止令が出されます。しかし、実際はなかなか改まらず、天保の改革(1841〜43)の際、厳しく取り締まりが行なわれました。その結果、浴槽の中央に仕切りを取り付けたり、男女の入浴日時を分けたり、また男湯だけ、女湯だけという銭湯も現われました。

 時代は移って明治の世、明治政府は、幕府以来の旧弊として、男女入り込み湯はとくに厳しく禁止しました。守らぬ業者は営業停止処分にしたり、たびたび通達を出します。しかし、長年の風習はそう簡単には改まりません。実際に混浴がなくなるのは、明治23年(1890)の、子どもでも7歳以上の混浴は禁止という法令が出されて以降のことです。

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